前身時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 00:42 UTC 版)
当センターは、国鉄時代京葉線が貨物線として建設計画していた当時の鷺沼貨物駅建設予定地を車両基地に転用、1986年(昭和61年)3月3日に津田沼電車区新習志野派出として発足。発足直後は小規模だったが、全線開業時には配置500両に対応できるように計画され、それに伴う施設増設ための用地は確保していた。車両は、分割・併合を可能にした103系(10(4+6)両編成、以下:10両分併編成)70両を配置(編成の詳細は後述)、所属基地は津田沼電車区(→習志野電車区、現・習志野運輸区)で、車両は同所に常駐、検査時は蘇我経由で所属区所に回送した。車両運用は、朝夕の通勤・帰宅時間帯は10両編成、日中・深夜は基本編成の6両編成で運転、その前後の時間で新習志野駅にて付属編成を分割・併合、検査時の回送電車はデータイムに1往復を設定。同年9月1日の組織変更で、津田沼電車区が習志野電車区(検修)、津田沼運転区(運転)へ改編、検修部門は習志野電車区新習志野派出、運転部門は津田沼運転区新習志野派出所と改称。また、日中の利用状況が芳しくないため、基本編成と付属編成の両数を変更、日中・深夜の運用は4両編成となった。 1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化で、JR東日本に継承、千葉支社の管轄となる。1988年(昭和63年)12月1日に新木場・蘇我まで延伸開業と車両基地施設増設に伴い、浦和電車区(現・さいたま車両センター)から30両転入、配置車両103系10両分併編成×10本に増強(編成の詳細は後述)。今回の開業に伴い、運用車両の全先頭車にはATS-P形の取付、日中・深夜の運用も再び6両編成での運転となった。1989年(平成元年)10月1日に京葉線全線開業に備え京葉準備電車区と改称した。
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