分割・併合とは? わかりやすく解説

分割・併合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 03:09 UTC 版)

ラインゴルト (列車)」の記事における「分割・併合」の解説

TEE昇格当時ラインゴルト途中ユトレヒトデュースブルクバーゼルの3個所客車の分割・併合を行なう多層建て列車であった1965年の夏ダイヤにおけるジュネーヴラインゴルト (TEE 10) では、分割・併合は次のように行なわれた(#編成図参照)。まずラインゴルトアムステルダムとフーク・ファン・ホラントを各々客車3両で発車するユトレヒトでこれらを連結して6両編成となる。デュースブルクこのうち前2両、後ろ1両を切り放しミュンヘン行きラインプファイル (TEE 22) に連結同時にラインプファイルドルトムントから到着した客車のうち4両をラインゴルト連結前部に1両、後部に3両)する。バーゼルSBB駅では編成3分割され、ラインゴルト4両編成となってジュネーヴへ、またミラノ行き客車2両はスイス国鉄イタリア国鉄の458-313列車に、クール行きの1両はスイス国鉄203列車連結されそれぞれの目的地へ向かう。アムステルダム - ジュネーヴ間の全行程走破する客車は1両のみであり、フーク・ファン・ホラント - ジュネーヴ間を直通する客車存在しなかった。また展望車ドルトムント発着編成にのみ含まれており、オランダに乗り入れていなかった。 オランダ方面行き (TEE 9) はほぼこれの逆の手順で分割・併合を行なうが、客車連結順が異なり、またデュースブルクからドルトムントへの車両ラインプファイルではなく、その数分後を続行する別の列車 (F 321) として運行された。このような複雑な手順のため、ラインゴルト途中駅での停車時間合計双方向とも60分を越えており、運行時間の約1割を停車時間占めていた。 1969年TEEローラントブレーメン - バーゼル - ミラノ)が創設されると、ミラノ発着客車バーゼル - ミラノ間でローラント連結されるようになった1970年夏のダイヤ改正ではドルトムント - クール間の直通客車新設され代わりにアムステルダム - クール間の直通客車なくなった。これは西ドイツ国鉄ルール地方スイスの間の需要重視したためであり、アムステルダムドルトムント双方からの客車クール直通させようとすると、デュースブルクもしくはバーゼルでの客車入れ替え複雑になり過ぎるためでもある。この結果デュースブルクでは、ラインゴルトとしてオランダスイス方面直通する客車よりもラインプファイル入れ替えられる客車の方が多くなった。 1971年9月26日からラインプファイルハノーファー - ミュンヘン間のインターシティとなったが、デュースブルクでの客車入れ替え以前同様に行なわれていた。

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分割・併合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 01:37 UTC 版)

京急川崎駅」の記事における「分割・併合」の解説

京急羽田空港ターミナル乗り入れ以前都営浅草線直通急行終着駅だったほか日中新逗子方面行き急行現在のエアポート急行とは異なる)の一部折り返していた。2010年5月15日までのダイヤでは羽田空港発着快特品川泉岳寺発着および都営浅草線直通快特の分割併合駅だった。 品川の上下線の間に1本引き上げ線があり、当駅始発の普通や、羽田空港発浦賀行と新逗子4両編成増結時の待避使用された。羽田空港発着する4両編成特急列車番号末尾はすべて「D」だった。なお、この引き上げ線は、かつて都営線からの直通急行折り返し線として使用していた。現在は品川 - 京急蒲田駅間の区間運転列車がこの引き上げ線使用して折り返している。これは京急蒲田駅構造上、京急蒲田品川方面折り返すことができないためである。また、同じく品川方の多摩川鉄橋上に折り返し用の渡り線設置されており、新逗子方面行き急行はこちらを使って本線上で折り返していた。 下り線増結時は京急蒲田羽田空港始発4両編成先に発車し、当駅手前で上下線の間にある引き上げ線入線後一旦停車し後続快特8両編成)を先に通してから、後ろ4両の増結行なっていた。増結後は当駅 - 金沢文庫間を12編成運転し羽田空港 - 当駅間で特急だった種別快特となっていた。 逆に上り線では、金沢文庫から増結された12両の快特後ろ4両を当駅で分割し8両編成快特発車直後4両編成特急羽田空港行に種別変更し発車していた。発車前に停止位置を少し移動していた。また、増結待ちのD特急引き上げ線停車中は横浜方からの当駅止まりの電車引き上げ線使用できないため、品川の上り線本線多摩川鉄橋上で一旦停車し渡り線経由し折り返していた。引き上げ線使用時5番線入線するが、上り本線折り返す場合4番線入線する。5番線の普通と緩急接続する快特特急4番線使用する。 なお朝方運行される12編成下り特急列車神奈川新町駅ホーム有効長8両編成のため後4両が当駅止まりとして運行されるが、当駅では分割せずに後4両を回送扱いにした状態で12編成のまま次の神奈川新町駅まで運行され同駅にて分割作業行なう

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分割併合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:56 UTC 版)

小田急電鉄の鉄道車両」の記事における「分割併合」の解説

箱根湯本行き片瀬江ノ島行き併結した急行1993年相模大野駅では連結作業頻繁に行われていた(9000形4000形大型車中型車相互に連結2600形2400形小田急が分割併合を相模大野開始したのは1953年で、新宿寄り区間小田原江ノ島寄り区間輸送量大きな差があったことから、車両効率的な運用を行うために開始された。1964年急行8両編成での運行開始されると、ほとんどの急行相模大野で分割併合を行うようになった1973年には相模大野での分割併合の回数平日1日154回に達していた。また、1991年3月18日ダイヤ改正では、平日新宿発車する急行列車115本のうち、分割がない列車は26本だけであった小田急電鉄OB生方良雄は、1988年自著の中で分割併合について「全国でというより世界でこれだけ頻繁に行っている所は無い」と述べている。 このように多くの分割併合が行われていたため、車両側でもその対応が行われた。1974年3月前面フラット解結作業やりにくかった1800形に対して自動解結装置設置したのを始めとして、1975年までに全編成に自動解結装置設置が行われた。これにより、分割併合の作業運転士だけで行うことが可能になった。また、途中で分割する列車において、誤乗防止のために前編成と後編に対して別々の放送を行うことができるように、分割放送装置全編成に設置された。また、1995年登場した30000形EXE車では、幌まで含めて自動的に解結動作を行う装置採用された。 しかし、1991年度以降登場した10固定編成1992年度以降登場した8両固定編成では、これらの装置設置されていないまた、2001年登場した3000形では当初より小田原先頭車電気連結器設置されておらず、2005年以降他形式においても6両固定編成小田原先頭車電気連結器撤去が行われている。 なお、その後1990年代後半には全線通して10両編成運行する急行登場したほか、2008年3月15日には、それまで平日145回あった分割併合はわずか6回、土休日141回あった分割併合も5回と、分割併合の回数大幅に減少し2012年ダイヤ改正で、特急以外の分割併合は全廃された。

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