曽沢太吉とは? わかりやすく解説

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曽沢太吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 05:20 UTC 版)

曽沢 太吉(曾澤太吉、そざわ たきち、1909年10月17日 - 1996年2月13日[1])は、国文学者。中古・中世文学が専門。

経歴

長野県上高井郡小山村(現須坂市)生まれ。旧制須坂中学(長野県須坂高等学校)を経て、1933年京都帝国大学文学部国文科卒。旧制大阪府立市岡中学、池田中学などの旧制中学校教諭を経て、1943年大東亜錬成院錬成官、1944年長岡工業専門学校教授、1947年奈良女子高等師範学校教授、1950年奈良女子大学教授、1963年文学部長、1971年学長。1977年定年退官、名誉教授、摂南大学国際言語文化学部教授[2]。仏教美術協会理事長。文化庁平城宮跡保存整備委員会委員などを歴任した。

著書

  • 『受験徒然草』玄鹿洞書院 受験国文叢書 1937
  • 更級日記新釋』星野書店 1949
  • 『更級日記新解 解釈と鑑賞』白揚社 1954
  • 小倉百人一首 全釈』福音館古典全釈文庫 1958

共編校注

  1. ^ 『人物物故大年表』
  2. ^ 『現代日本人名録』1987年

出典




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