高度経済成長期から平成までの状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 19:04 UTC 版)
「京都バス」の記事における「高度経済成長期から平成までの状況」の解説
観光受け入れ都市としては日本随一である京都市であるが、市内から他地方へ観光旅行へ出かける人員には限度があり、また観光シーズンとシーズンオフの変動の激しさや、他府県からの直通観光バスやマイカーの流入、市内よりのマイカーによる流出など運営に関する諸種の障害が表れ始め、稼働率の低下や収益率の伸び悩みが経営を圧迫して貸切部門の存続を許容しがたくなった。このため1968年、東京に本社がある国際自動車(株)との間に営業譲渡契約を締結し、18年間に渡って営業を続けてきた貸切部門を廃止した。 その後、時を経て貸切事業へ再進出することとなり、2001年に大型貸切旅客自動車運送事業免許を取得し、この免許を生かして契約輸送も開始し、2001年からのマイクロバスによる京都産業大学の二軒茶屋シャトルバスを皮切りに、同8月からの川島織物セルコン(株)の社員輸送、同12月からのイズミヤ(カナート洛北)など、シャトルバス運行を開始した。また、2003年には34年ぶりに大型貸切車が導入、2005年にはフルサイズ(12mクラス)のハイデッカー観光車が導入された。 一方、全国的なモータリゼーションの波は、京都市においても自家用車、ミニバイク、自転車などの激増をもたらし、1981年の京都市営地下鉄烏丸線開業など旅客の交通手段が多様化し、乗客のバス離れ現象が顕著になってきている。加えて沿線人口の減少傾向と住民の高齢化など輸送需要の低下が進んできた中、1989年の京阪電鉄鴨東線開業や1997年の地下鉄烏丸線の全通(北山駅 - 国際会館駅間延伸)、JR山陰本線(嵯峨野線)の円町駅開業や電化・京都駅 - 園部駅間の完全複線化などで、通勤・通学客が所要時間の短縮や他の交通機関との接続等の利便性から電車利用へ移行する結果となり、旅客輸送人員は1975年(昭和50年)度をピークに年々減少の一途をたどっている。 この危機的な状況に対処する為に、1992年に路線の再編成(鉄道の白紙ダイヤ改正に相当。これは1997年の地下鉄烏丸線全通時にも京都市営バスから左京区北部の路線の大半を移管するにあたっても行われている)や、輸送需要に応じて柔軟な車両変更(大型バスから中型バス、更には小型バス化)や路線変更などのダイヤ改正を行いながら過疎地域路線を維持しつつ、1993年の京福電気鉄道・京阪電気鉄道支援による増資、「花背山の家」特定輸送の開始(1993年。この特定輸送の一部路線は宇治市内まで来ている)、「北山三角点トレック」ツアーの実施(1998年より)など、増収・事業の多角化を進めている。2004年4月1日、京阪電気鉄道の完全子会社として設立された京阪バスシステムズに参加、京阪グループ入りした。 2014年3月に京都市営バスと合わせて嵯峨地区の均一運賃区間拡大と共に、従来の「市バス専用1日乗車券」を「市バス・京都バス1日乗車券」(2018年にバス一日券に改称)に改めて観光客の利便性を向上させた。この施策は2016年3月にも修学院・岩倉(一部区間のみ)地区で、2019年3月には岩倉北部・市原地区でも実施された他、2019年3月には京都市交通局が発行している「トラフィカ京カード」の受け入れを開始している。 このようにバス事業は順調である一方で、1966年に設立した京都バスの子会社であった京都バスタクシーを2017年3月21日の営業を最後に終了し、同月に会社も解散した。
※この「高度経済成長期から平成までの状況」の解説は、「京都バス」の解説の一部です。
「高度経済成長期から平成までの状況」を含む「京都バス」の記事については、「京都バス」の概要を参照ください。
- 高度経済成長期から平成までの状況のページへのリンク