構想からワークショップへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:26 UTC 版)
「レント (ミュージカル)」の記事における「構想からワークショップへ」の解説
『レント』の企画は、劇作家ビリー・アロンソンが1988年に着手したロックオペラ構想に基づいている。翌89年になって当時29歳だったジョナサン・ラーソンが作曲者として加わり、彼はこれに二つの重要な決定をもたらした。一つはタイトルを『ラ・ボエーム』から『レント』に替えること、そしてもうひとつは舞台をアッパー・ウエスト・サイドからより現実味のあるイーストヴィレッジへ移すというものだった。それはとりもなおさず、ヴィレッジに住むラーソン自身が毎月の家賃の工面に苦労していたからにほかならない。 この時期の『レント』の筋書きはプッチーニの『ラ・ボエーム』とほぼ平行したものとなっており、初っ端にロックミュージシャンのロジャー(オペラでは詩人のロドルフォ)と映像作家のマーク(オペラでは画家のマルチェロ)が寒いといって原稿を燃やすところから、大学で哲学を教えるコリンズ(オペラでは哲学者のコッリーネ)がひょっこり帰ってきて、ドラマーのエンジェル・ドゥモット・シュナルド(オペラでは音楽家のショナール)がうるさいペットを殺して金を稼ぐ話を披露、その後ロウソクや落とし物があってロジャーとミミ(オペラでもミミ)が出会うところまで、まったく同じような展開となっている。 「ボヘミアン イーストヴィレッジ」が終焉を迎えつつあった1991年頃になると、ラーソンはプッチーニの『ラ・ボエーム』という足かせから逃れて、もっと自由なかたちで当時のイーストヴィレッジとそこに生きる人々の現実を描きたいと考えるようになる。そこで彼は、将来この企画がブロードウェイで興行収益を上げる成功を得た際にはアロンソンにも収益の歩合を確保するという条件のもとに、『レント』をラーソン個人の単独企画とすることに合意をえた(つまり買い取った)。これ以降の『レント』は、『ラ・ボエーム』のプロットとは特に関係のない、ラーソンのオリジナル脚本である。 ジョナサン・ラーソンが『レント』のために書いた曲は300曲にものぼるという。最終的にそのうちの42曲が舞台に登ったが、これは通常のミュージカルを構成するのが平均で15〜25曲であるのと較べると格段に多い。 『レント』の音楽は、個々の歌のスタイルが非常にバリーションに富んでいることが特徴的である。例えば、“Rent”はロックンロール、“One Song Glory”はバラード、“Light My Candle”はチャチャ、“Today 4 U”はディスコ、“Tango: Maureen”はタンゴ、“Out Tonight”はポップ、“Santa Fe”はR&B、“La Vie Boheme”は典型的なショーチューン、“Seasons Of Love”はゴスペル、“Without You”はフォークと、それぞれ異なるスタイルで書かれており、これらをすべて一人で書き上げて編曲までしたジョナサン・ラーソンの非凡な才能が窺える。 こうした曲目の中には、ちょっとした「アクシデント」で書かれたものもあった。ある日ジョナサン・ラーソンは親しいアフリカ系の女性の友人と『レント』の曲目について意見を交換していた。この友人は、ラーソンがどんなスタイルの曲でも書けることに感心しつつも、「でもゴスペルだけはきっと無理よ」とからかい半分に言った。2週間後、彼女と再会したラーソンが「こんな感じ?」とピアノで弾き語ってみせたのが、“Seasons of Love” だった。 一方『レント』の振り付けでは、登場人物がしきりとテーブルの上に乗るのが特徴的である。これはワークショップ期のレントの舞台装置が非常に簡略で、舞台の中央にあるものといえば本読みテーブルぐらいなものだった時代の名残りである。ワークショップで試行錯誤を繰り返しながら形成されていった 『レント』の脚本は、朝令暮改で変わることが多かった。しかも『レント』の歌は歌詞のほぼ各行が韻を踏んでいるため(これがまた大変なことで、昨今のミュージカル ナンバーで各行踏韻というのはほぼ皆無である)、オリジナルキャストはころころ変わる台詞や歌詞がなかなか覚えきれない。そこで彼らは、リハーサルでは脚本と楽譜が置いてあった中央のテーブルにしきりと近寄った。その舞台上の滑稽な動きがユニークな伝統として引き継がれ、これがブロードウェイや映画でも踏襲されている。 ジョナサン・ラーソンは、高校時代からの大親友がゲイでHIV陽性だったり、エイズで何人かの友人を失ったり、付き合っていた恋人の女性をレズビアンに奪われるなどの体験を実際にしており、こうしたラーソン個人の経験や想い出が『レント』には数多く織り込まれている。 ライフサポートのミーティングに脇役で登場するアリ、ゴードン、パム、スーの四人のキャラクターの名前は、実際にエイズで死亡したラーソンの親しい友人の名前である。またラーソンは取材のため実際にこうしたライフサポートのミーティングに何度か参加しているが、ある日参加者の男性が「ぼくは死ぬことは怖くないし、みんなを残して先に逝くことも恐れはしない。でもぼくが(病気の進行によって)人としての尊厳を失ってしまうことは怖くて仕方ないんだ (I’m not afraid to die, and I’m not afraid to leave everyone behind, but I am afriad of losing my dignity.)」と発言した。この一言が心に残ったラーソンはその日のうちに“Will I?”を書き上げており、歌詞の中にはこの男性の実際の言葉が引用されている。 ジェシー・L・マーティン アンソニー・ラップ ニューヨーク・シアター・ワークショップを通じて助成金がおり、『レント』 が本格的なプロダクションとなるまで、ジョナサン・ラーソンは軽食レストランでウェイターとして働き、チップで細々と生活を支えながら『レント』を書いていた。そのレストランにある日見習いウェイターとしてやって来たのが、後にコリンズ役を演じることになる、ジェシー・L・マーティンだった。また@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ニューヨーク・シアター・ワークショップのチケット窓口でアルバイトとして案内やチケット販売などの手伝いをしていたのが、後にマーク役を演じることになるアンソニー・ラップだった。[要出典] ロジャー役にキャスティングされたアダム・パスカルは、本人がロックバンドのリードボーカルをつとめる、舞台経験のまったくない素人役者だった。ロックシンガーのパスカルには目を閉じたまま歌うという癖があり、スタッフを心配させたが、ある日これを指摘されると、二度と繰り返すことはなかったという。
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