構想から事業化までの経緯
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「アーカスプロジェクト」の記事における「構想から事業化までの経緯」の解説
アーカスプロジェクト (ARCUS Project)が構想されたきっかけは、1991年の東京藝術大学取手キャンパス新設である。キャンパスのオープンを前に当時の茨城県知事竹内藤男と東京藝術大学学長 平山郁夫が芸術文化を特色とする新しい地域づくりについて対談した際に出てきた「国際芸術文化交流拠点」という言葉が構想の核となった。その後1992年度に茨城県が専門家による委員会を設置して事業化構想を検討する中で、芸術の創造活動を支援するというコンセプトが固まり、具体的な事業としては当時日本では例の少ないアーティスト・イン・レジデンス(Artist in Residence)が最有力となった。事業化するに当たってのハードルのひとつは、どこでアーティスト・イン・レジデンスをやるかという場所の問題だった。きっかけとなった取手キャンパスとの近接性だけでなく、アーティストが自由に創作に使える建物と、アーティストの住居が必要であり、取手市、守谷町(当時・現守谷市)、伊奈町(当時・現つくばみらい市)等で適地探しが行われた。最終的に守谷町に決まった一番のポイントは、1995年(平成7年)に、守谷市薬師台四丁目に新・大井沢小学校が開校することに伴い旧・大井沢小学校が廃校になることが決まっていたことだった。空いていた同校の講堂(その後取り壊された)がアーティストのスタジオとしてすぐに使えること、その後は空き教室が使えることは、人口が増加していた取手・守谷地区においては得難い条件だった。また、守谷町は住宅都市整備公団によるニュータウン整備が進むのと並行して民間アパート建設も多く、アーティストの住居確保も比較的容易だった。2000年につくばエクスプレスの開業が予定され(実際の開業は2005年)秋葉原に30分台で出られるようになることも魅力だった。なお、廃校となった旧・大井沢小学校は改修を経て守谷市立の生涯学習施設「もりや学びの里」となり(1995年(平成7年))、その中のいくつかの旧教室をスタジオとしてアーティストの創作活動支援が行われている。
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