構想および脚本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/28 00:23 UTC 版)
「オズの魔法使い (1902年のミュージカル)」の記事における「構想および脚本」の解説
ボームは友人で作曲家のポール・ティチェンズ、装置および衣裳デザインを担当したオリジナル挿絵画家のウィリアム・ウォレス・デンスロウとコラボレートして脚本を執筆することを決めた。1901年、オリジナルの小説になるべく近付けるようにして脚本、楽譜、デザインが完成した。シカゴ・グランド・オペラ・ハウスのマネージャーのフレッド・R・ハムリンに提出すると彼はとても気に入り、ジュリアン・P・ミッチェルに演出を依頼した。 ミッチェルは見せ場に欠け、二流でスケールが小さいとしてこの脚本を気に入らなかった。しかし彼は「大作になる可能性がある」とハムリンに電報を送った。ミッチェルがこのプロジェクトを受け入れると、彼はいくつかの新曲のため新たな作曲家を迎え入れ、ティチェンズの曲のいくつかをカットした。彼はグレン・マクドナーと共に脚本をすっかり書き換え、新たな登場人物や出来事を追加し、臆病なライオンの役を減らして西の悪い魔女の役をすっかりなくし、ドロシーの友達としてトトではなく牛を追加した。ボームはこれについて失望したが、ミッチェルの演出経験を信頼し、カカシ役のフレッド・ストーンやブリキの木こり役のデイヴィッド・モンゴメリーのコメディ・センスがヒットに繋がるだろうと希望を持った。上演はとても成功し、当時上演する劇場全てが記録を塗り替えた。
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