構図の源泉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 14:19 UTC 版)
「ヴィーナスとアドニス (ティツィアーノ)」の記事における「構図の源泉」の解説
2匹の犬を描いたファルネーゼ型の現存する最も古い例は、少なくともプラド型と同じくらい遅いように見えるが、これがオリジナルの構図であった可能性がある。ポール・ヨアニデス(英語版)はこの点を示唆しており、オリジナルが失われたファルネーゼの絵画、またはさらに別のバージョンは、1520年代またはそれ以前までさかのぼる可能性があると仮定している。よりタイトな構図はプラド型よりも劇的であると認められており、画面左側が「拡張された」プラド型はすべてのバージョンで「混乱している」と説明されている。特に画面右後方の新しい追加要素である第3の猟犬の「ポーズと位置」は「複雑で解読が困難」であり、全体は「配置として不器用」である。 最も初期の可能性があるバージョンの証拠は、第21代アランデル伯爵トマス・ハワードが所有した絵画をもとに、イギリスのミニアチュールの肖像画家ピーター・オリバーが羊皮紙に描いたバーリー・ハウス(英語版)所蔵のミニチュア絵画である。制作年は1631年であり、イングランド国王チャールズ1世のために描かれた。ファルネーゼ型であるこの複製では、アドニスは右手に槍を持つ代わりにヴィーナスの背中に腕を回している。オリジナルのハワードの絵画は1945年にウィーンで失われものらしく、モノクロ写真からのみ知られている。絵画はウィーンでティツィアーノ自身の作品としてカタログ化されたことはなく、おそらく失われたオリジナルの工房の複製だった。これらの複製の形態と色彩の詳細は、1520年代または1510年代後半のティツィアーノの様式およびこの時期の主題の最初の描写を記録していることを示唆している。 サイズの増加はフェリペ2世によって指示された可能性がある。フェリペ2世のバージョンは『ダナエ』の対作品として意図されていた。この『ダナエ』はファルネーゼ家のために最初に描かれた同主題(現在ナポリのカポディモンテ美術館所蔵)の変更および拡張されたバージョンでもあった。ナポリの『ダナエ』の高さは、失われたファルネーゼ家の『ヴィーナスとアドニス』について記録されたものと同じである。 ヴィーナスのポーズはプシュケを彫刻した『ポリュクレイトスのベッド』(Il letto di Polyclito)と呼ばれる有名な古代のレリーフに前例がある(ただし16世紀には『ウルカヌスのいるヴィーナス』と考えられていた)。そこではプシュケは眠った伴侶がいるベッドの上に座り、相手を見るために身体をひねって、片方の腕で自分を支え、もう片方の腕で覆いを持ち上げている。ティツィアーノには、この非常に有名な作品のバージョンや複製を見る様々な機会があった。ローマのヴィラ・ファルネジーナにあるフレスコ画の中で、ラファエロの工房が『神々の饗宴』(Feast of the Gods)の女神ヘベのためにすでに使用しており、ジュリオ・ロマーノはマントヴァのテ離宮で『バッカスとアリアドネ』(Baachus and Ariadne)のために使用した。ティツィアーノが他の作品を引用するために近づくことはめったにない。
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