1520年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:08 UTC 版)
1520年代(せんごひゃくにじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1520年から1529年までの10年間を指す十年紀。
- 1 1520年代とは
- 2 1520年代の概要
1520年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 12:13 UTC 版)
詳細は「1520年代」を参照 1520年オスマン帝国でスレイマン1世即位。オスマン帝国の全盛期。 イングランド王ヘンリー8世とフランス王フランソワ1世の会見(金襴の陣)。 デンマークによるストックホルムの血浴。 フェルディナンド・マゼランがパタゴニアを経由してマゼラン海峡を発見し太平洋へ到達。 1521年フェルディナンド・マゼランが太平洋経由でフィリピンへ到達。マクタン島の戦いでイスラムの部族長ラプ=ラプ率いる軍に敗れマゼランは戦死。 エルカーノらマゼランの部下たちはインド洋・大西洋を経てスペインに帰国し、世界周航を達成する。 アステカ帝国がエルナン・コルテスにより征服される。 ヴォルムス帝国議会でマルティン・ルターがカトリック教会との決別を宣言。議会ではルターを異端者とし、帝国外へ追放するというヴォルムス勅令を公布する。 ルターはザクセン選帝侯によりヴァルトブルク城にかくまわれ、新約聖書をドイツ語に翻訳。 将軍足利義稙が出奔し管領細川高国が実権を掌握。後柏原天皇が即位22年目にして即位の礼を行う。足利義晴が室町幕府第12代将軍となる。 明の嘉靖帝が第12代皇帝に即位。大礼の議の論争が起こる。 1522年ドイツ騎士戦争。 ロドス島包囲戦でオスマン帝国が勝利。 1523年スウェーデンがカルマル同盟を脱し独立(ヴァーサ朝 - 1654年)。国王はグスタフ1世。 ツヴィングリの「67ヶ条の論題」。チューリッヒでの宗教改革の始まり。 寧波の乱。 1524年ドイツ農民戦争。 河越城の戦い(河越夜戦)で、北条氏康軍が上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の連合軍を破る。 1525年パヴィアの戦いでフランス王フランソワ1世が神聖ローマ皇帝カール5世により捕虜になる。 ポーランド王ジグムント1世がドイツ騎士団総長アルブレヒトを臣従させる。 1526年後柏原天皇が没し、第105代後奈良天皇が践祚。 石見銀山が博多の豪商神屋寿禎により発見される。続く1533年の灰吹き法の導入により世界的な銀生産地に発展。 インドでバーブルがムガル朝を建国する。 モハーチの戦いで、ハンガリー国王ラヨシュ2世が戦死する。 1527年ローマの略奪により教皇クレメンス7世が神聖ローマ皇帝カール5世に屈服。事実上のイタリアでの盛期ルネサンスの終了。技巧と奇想にあふれるマニエリスム様式が広がる。 ヴェステロースでの議会によりスウェーデンでルター派が国教とされる。 黎朝の王位が莫登庸により簒奪される。 三好元長が足利義維の堺政権を樹立(堺幕府)。 1528年コルテスがスペインに一時帰国し国王カルロス1世にカカオその他の新大陸の産物を献上。 1529年貴婦人の和約(カンブレーの和約)。 神聖ローマ帝国の首都ウイーンがオスマン帝国に包囲される(第一次ウィーン包囲)。 マールブルク会談においてルター派とツヴィングリ派が聖餐論をめぐり決別。 サラゴサ条約。 ヴィシュワナート・ナーヤカがマドゥライ・ナーヤカ朝の君主として即位( - 1563年)。この君主の時代に都マドゥライにインドで最大級のヒンドゥー教寺院であるミーナークシ寺院の建立が始まる。
※この「1520年代」の解説は、「16世紀」の解説の一部です。
「1520年代」を含む「16世紀」の記事については、「16世紀」の概要を参照ください。
- 1520年代のページへのリンク