1410年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:07 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 14世紀 - 15世紀 - 16世紀 |
十年紀: | 1380年代 1390年代 1400年代 - 1410年代 - 1420年代 1430年代 1440年代 |
年: | 1410年 1411年 1412年 1413年 1414年 1415年 1416年 1417年 1418年 1419年 |
1410年代(せんよんひゃくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1410年から1419年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1410年
1414年
1415年
1419年
- 1419年〜 フス戦争。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1410年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:22 UTC 版)
詳細は「1410年代」を参照 1410年グルンヴァルド(タンネンベルク)の戦い、ポーランド王国がドイツ騎士団を破る。 鄭和の艦隊とセイロンのライガマ王国軍が交戦、鄭和は国王アラカイスワラらを捕虜とする。 周文の「芭蕉夜雨図(東京国立博物館蔵)」が描かれる。 1411年将軍足利義持が明使の入京拒否し国交断絶( - 1432年)。 グジャラート・スルターン朝のアフマド・シャー1世がアフマダーバードを都に定める。 1412年後小松天皇が譲位し、第101代称光天皇が即位。 ローマ派の教皇グレゴリウス12世がリミニに逃亡。 カスペの妥協。 1413年アムール川河口の奴児干(ヌルガン)に派遣された明の女真人宦官亦失哈(イシハ)が石碑「奴児干永寧寺碑記」を建てる。 パリでカボシュの反乱(フランス語版)。 1414年コンスタンツ公会議始まる( - 1418年)。 イングランドでオールドカースルの乱。 マラッカ王国でイスカンダル・シャーが即位。この時期までにマラッカ王国はイスラム教に改宗する。 1415年アジャンクールの戦い。 ポルトガルのセウタ攻略。 宗教改革者ヤン・フスの火刑。 ホーエンツォレルン家のフリードリヒ1世が世襲のブランデンブルク選帝侯位を獲得。 1415年以前如拙の「瓢鮎図(妙心寺塔頭退蔵院蔵)」が描かれる。 1416年エンリケ航海王子がサグレス一帯に「王子の村」を建設し航海学校を開設。 サヴォイア公国が成立。 上杉禅秀の乱。 1417年イングランドでロラード派のジョン・オールドカースルが処刑される。 コンスタンツ公会議で「フレクエンス(ドイツ語版)」が採択され、新教皇にマルティヌス5世を選出。 ポッジョ・ブラッチョリーニがドイツのフルダ修道院にて古代ローマの著作家ルクレティウスの『物の本質について』を発見する。 1418年鄭和の艦隊の分団が東アフリカのマリンディに到達。 将軍足利義持の弟義嗣が謀反の疑いで殺害される。 ブルゴーニュ派のパリ制圧、アルマニャック派は王太子シャルルとともにパリから逃亡。 1419年応永の外寇。 ポルトガルのマデイラ諸島発見。 モントロー会議で、ブルゴーニュ公ジャンが暗殺される(英語版)。フィリップがブルゴーニュ公を継ぎ、宮廷はディジョンからブリュッセルに遷される。 第一次プラハ窓外投擲事件によりフス戦争が勃発( - 1439年)。
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