鄭和とは? わかりやすく解説

てい‐わ【鄭和】

読み方:ていわ

[一][1371〜1434ころ]中国、明の武将昆陽雲南省)の人。本姓は馬。イスラム教徒。明初、宦官として燕王永楽帝)に仕え、鄭姓を賜った1405年以降、7回にわたり大船団を率いて西方遠征しアフリカ東岸紅海にまで足跡残した

[二]中国小惑星探査機地球周囲を月のように公転しているように見え準衛星カモオアレワサンプルリターン計画2024年打ち上げ予定


鄭和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 07:55 UTC 版)

鄭 和(てい わ、拼音: Zhèng Hé, 宣光元年8月14日1371年9月23日) - 宣徳9年(1434年)頃)は、代の宦官、武将、航海者。


注釈

  1. ^ メッカへの巡礼者に与えられる尊称に由来する。
  2. ^ ちなみにヴァスコ・ダ・ガマの船団は120t級が3隻、総乗組員は170名、コロンブスの船団は250t級が3隻、総乗組員は88名である。

出典

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鄭和(ていわ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 04:54 UTC 版)

海帝」の記事における「鄭和(ていわ)」の解説

本作主人公明朝仕え宦官燕王時代から永楽帝側近くに仕え、その有能さ買われ重用された。永楽帝即位後は宦官の最高職である内官太監に任ぜられ明朝廷に重きを置くが、勅命によって船団の司礼監(司令官)に指名され史上空前大船団を率いて遠洋航海旅立つこととなる。

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鄭和

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ワット・パナンチューン」の記事における「鄭和」の解説

1407年雲南中国ムスリム宦官の鄭和(ていわ、拼音: Zhèng Hé、通称三保三宝〉大監)が、明朝艦隊司令官として2度目の航海指揮し、この寺院訪れた。彼がシャム王室参席のある大式典において寺院供物捧げたことは、今日でも彼の敬意のうちに寺院訪れ中国タイ人訪問者記憶されている。

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鄭和(演:羅嘉良(中国語版))

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:33 UTC 版)

鄭和下西洋」の記事における「鄭和(演:羅嘉良(中国語版))」の解説

朱棣(永楽帝)に仕え内宮太監巡洋正使欽差総兵官。永楽帝後見のもと、中国史上空前の大航海事業を行う。

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