夏原吉とは? わかりやすく解説

夏原吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 22:45 UTC 版)

夏原吉

夏 原吉(か げんきつ、至正26年(1366年)- 宣徳5年1月27日1430年2月19日))は、明代政治家は維喆。本貫潭州湘陰県

生涯

苦学の末に国子監に入り、洪武帝の抜擢を受けて戸部主事を歴任した。靖難の役では、建文帝の側にあって一時捕えられるが、永楽帝もその才を認めて建文4年(1402年)に戸部尚書に抜擢し、以後19年にわたってその職にあった。直後に洪水に悩まされていた浙西地区での治水工事を成功させて水利を安定させ、北京遷都・漠北親征などの費用の捻出などに尽力し、明代財政の基礎を築いた。永楽8年(1410年)の永楽帝の漠北親征の際には皇太子朱高熾(後の洪熙帝)を補佐して北京の留守を守った。だが、永楽19年(1421年)の漠北親征の際には反対論を唱え、永楽帝を諌めて怒りを買って投獄された。3年後に永楽帝が没して洪熙帝が立つと直ちに釈放されて戸部尚書に復職し、以後死ぬまでその職にあった。洪熙帝が急逝して若い宣徳帝が即位すると楊士奇とともにこれを補佐し、三楊(楊士奇・楊栄楊溥)とともに重んじられた。死後に「忠靖」と諡られた。

参考文献

  • 岩見宏「夏原吉」(『アジア歴史事典 2』(平凡社、1984年))

夏原吉(演:張浩)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:33 UTC 版)

鄭和下西洋」の記事における「夏原吉(演:張浩)」の解説

建文朝の戸部主事永楽朝の戸部尚書建文帝忠誠誓っていたが、国への厚い忠義買われ永楽帝腹心部下となる。清廉潔白実直な性格であり、永楽帝信頼とりわけ厚い。国庫消耗を常に憂い鄭和大航海事業には常々反対していたが、永楽帝死に際して、自身考え誤り悟り一転して航海賛成派となる。罪人に陥れられた鄭和説得し一時的に罪を認めさせることで鄭和の身を守った永楽帝死後隠居したが、宣徳帝即位後に朝廷復帰し宣徳帝に対して鄭和大航海再会強く説き併せて最後の船旅に出る鄭和見送った

※この「夏原吉(演:張浩)」の解説は、「鄭和下西洋」の解説の一部です。
「夏原吉(演:張浩)」を含む「鄭和下西洋」の記事については、「鄭和下西洋」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「夏原吉」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「夏原吉」の関連用語

夏原吉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



夏原吉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの夏原吉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鄭和下西洋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS