朱棣の臣下とは? わかりやすく解説

朱棣(永楽帝)の臣下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:33 UTC 版)

鄭和下西洋」の記事における「朱棣(永楽帝)の臣下」の解説

姚広孝(道衍法師)(演:雨露中国語版)) 朱棣(永楽帝)の参謀・軍師。もとは一介僧侶だったが、その見識朱棣認められ三顧の礼をもって燕王府に迎えられた。朱棣に常に的確な助言行い靖難の変作戦・計画活躍永楽帝即位後は霊谷寺僧侶戻ったものの、影のブレーン存在として、引き続き永楽帝治国大業強く支える。朱棣人生における最大理解者であり、鄭和実の師匠でもある。鄭和大航海には終始賛成派立場をとる。 丘福(演:賈維) 朱棣(永楽帝)の側近将軍。淇国公。靖難の役においては燕王軍の主力武将として活躍。漢王(朱高煦)とは親しい関係にある。1409年北伐元帥として10万の兵を率いモンゴル攻めた大敗。軍に壊滅的被害出し永楽帝合わせる顔がないとして自害した夏原吉(演:張浩) 建文朝の戸部主事永楽朝の戸部尚書建文帝忠誠誓っていたが、国への厚い忠義買われ永楽帝腹心部下となる。清廉潔白実直な性格であり、永楽帝信頼とりわけ厚い。国庫消耗を常に憂い鄭和大航海事業には常々反対していたが、永楽帝死に際して、自身考え誤り悟り一転して航海賛成派となる。罪人に陥れられた鄭和説得し一時的に罪を認めさせることで鄭和の身を守った永楽帝死後隠居したが、宣徳帝即位後に朝廷復帰し宣徳帝に対して鄭和大航海再会強く説き併せて最後の船旅に出る鄭和見送った解縉中国語版)(演:蒋昌義) 建文朝の礼部主事永楽朝の内閣大臣翰林院学士&右春坊大学士清廉潔白実直な性格鄭和大航海猛反対して過激な諫言行い永楽帝から何度か罰せられたが、永楽帝からの信頼極めて厚かった学識教養が非常に豊かであり、学者として名高く、『永楽大典』の編纂主任務めた。後に、漢王(朱高煦)や錦衣衛紀綱らの罠にかかり、暗殺される鉄平(演:馬駿) 朱元璋時代からの明朝老将。征南将軍。鎮南侯。朱元璋から絶大な信頼を受け、宝剣を賜っている。朱元璋亡き後は、即位した建文帝忠誠誓い反乱起こした燕王朱棣敵対し南京での戦いにおいても、最後まで朱棣に対して抗い続けたが、敗れたその後永楽朝の武将となるが、永楽帝存在認めず鄭和大航海にも強固として反対態度取り続ける。 王忠(演:士才) 朱元璋建文帝永楽帝三代側近として仕えた宦官建文帝に対して厚い忠義誓っており、燕王軍が南京攻めた際は、朱元璋残した遺詔明かし機転利かせて建文帝逃亡助け、その命を救った建文帝逃がした後、自身長江身投げし自殺を図るが失敗その後皇宮戻り以後永楽帝側近宦官となる。当初永楽帝のことを憎み密かに毒殺しようとしていたが、次第永楽帝功績認め永楽帝への忠義心を深めていった。永楽帝死後即位した洪熙帝が、永楽帝国策停止すると、激しく諫言行い服毒自殺遂げた

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