作戦計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)
インド北東部マニプル州の中心都市インパールは、ビルマ・インド国境部の要地であり、イギリス軍の反攻拠点だった。第15軍司令官牟田口廉也中将は、インパールの攻略によって連合軍の反攻の機先を制し、さらにインド国民軍によってインド国土の一角に自由インド仮政府の旗を立てさせることでインド独立運動を刺激できると主張した。牟田口はさらにナガランド州ディマプルへの前進をも考えていた。これが成功すれば、ハンプ越えの援蔣ルートを絶ち、スティルウェル指揮下の米中連合軍への補給も絶つことができる。 牟田口の案は、第15軍の3個師団(第15、第31、第33師団)に3週間分の食糧を持たせてインパールを急襲し占領するというものだった。そのためには川幅1,000メートルのチンドウィン川を渡河し、標高2,000メートル級のアラカン山脈を踏破せねばならない。さらに困難な問題は作戦が長期化した場合の前線部隊への補給だった。ビルマ方面軍は当初牟田口の案を無謀と判断したが、南方軍と大本営は最終的にこの案を支持した。背景には、各方面で敗北続きの戦局を打開したいという軍中央の思惑があったと言われる。
※この「作戦計画」の解説は、「ビルマの戦い」の解説の一部です。
「作戦計画」を含む「ビルマの戦い」の記事については、「ビルマの戦い」の概要を参照ください。
「作戦計画」の例文・使い方・用例・文例
作戦・計画と同じ種類の言葉
- 作戦・計画のページへのリンク