1200年代
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1200年代(せんにひゃくねんだい)は、
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1200年代
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詳細は「1200年代」を参照 1201年建仁の乱(城長茂の乱)。 コイテンの戦いで、テムジンがグル・カンのジャムカに率いられたモンゴル高原東部の諸部族を打ち破る。 1202年フランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンの大陸領土没収を宣言。 教皇インノケンティウス3世が勧請した第4回十字軍がヴェネツィアに集結。 シトー会のアルベルトがリガにリヴォニア帯剣騎士団を創設。 源頼家が明菴栄西を開山に迎え京都建仁寺が創建される。 1203年インド仏教の中心地だったヴィクラマシーラ寺院がイスラム軍に破却される。ゴール朝の将軍ムハンマド・バフティヤール・ハルジーのベンガル制圧の一環として行われる。 この事件でインド仏教は滅亡したとされ、破壊を逃れた僧侶はチベットなどの近隣に亡命する。 比企能員の変。源実朝が鎌倉幕府第三代将軍となる。前将軍源頼家が伊豆に幽閉される。北条時政が初代執権に就任。 運慶・快慶らにより東大寺南大門金剛力士像が完成する。 1204年第4回十字軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃し占領。ヴェネツィアの協力を得てボードゥアン1世を皇帝とするラテン帝国が成立。 東ローマ帝国はいったん断絶し、ニカイア帝国ほかの亡命政権が成立( - 1261年)。 伊賀・伊勢平氏の叛乱(三日平氏の乱)。前将軍源頼家が殺害される。 1205年藤原定家ら『新古今和歌集』編纂。 畠山重忠の乱。牧氏事件により執権北条時政が追放される。北条義時が鎌倉幕府第2代執権に就任。 ハドリアノポリスの戦い(1205年)(英語版)で、カロヤン・アセン率いるブルガリア帝国軍がラテン帝国軍に大勝し、ラテン皇帝ボードゥアン1世が捕虜となる。 1206年モンゴル諸族を統一したテムジンがクリルタイで推戴され、モンゴル帝国の初代皇帝(チンギス・カン)に即位。 南宋の韓侂冑が金への北伐を行う(開禧北伐)。 インド北部でゴール朝の将軍クトゥブッディーン・アイバクが独立し奴隷王朝が成立。 テューリンゲン方伯の宮廷で「ヴァルトブルクの歌合戦」が開かれる。 1207年承元の法難。 南宋の韓侂冑が暗殺される。 1208年南宋と金の嘉定の和議(中国語版)。 1209年教皇インノケンティウス3世が小さき兄弟会(フランシスコ会)を認可。 教皇インノケンティウス3世がイングランド王ジョンを破門する。 フランス王フィリップ2世によるアルビジョア十字軍始まる( - 1229年)。 ケンブリッジ大学が創設される。
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