紀元前1200年代
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「紀元前13世紀」の記事における「紀元前1200年代」の解説
紀元前1208年頃エジプト王メルエンプタハがペルイレルの戦いでリビア人と「海の民」連合軍に勝利。この戦いを記念した「メルエンプタハ戦勝碑」の記録は「海の民」のについての最古の記録である。 「海の民」としてアカイワシャ人・トゥルシア人・ルッカ人・シェルデン人・シェケレシュ人の5部族の名が挙げられている。 「メルエンプタハ戦勝碑」の碑文には、現存最古の「イスラエル」に言及した一節が見られる。 アッシリアのトゥクルティ・ニヌルタ1世が暗殺される。建設途上の新都カール・トゥクルティ・ニヌルタは放棄され、アッシリアは停滞期に入る。 紀元前1200年以前 - トロイア戦争に先立ちテーバイ戦争が起きる(伝承に基づくエラトステネス説による)。このテーバイとアルゴスの戦いが『テーバイ攻めの七将』・『エピゴノイ』のもととなった。 伝承ではアルゴス王ディオメドスらエピゴノイはテーバイ戦争に勝利した後にトロイア戦争に参加している。 紀元前1200年頃 - 殷の23代王武丁の時代(武丁中興)に相当する。殷墟で発掘された武丁の后妃婦好の墓は唯一盗掘を免れた墓で大量の副葬品が発見された。 同じく発掘された武丁の后妃戊の墓からは殷代最大の青銅器「后母戊大方鼎(北京中国国家博物館蔵)」が出土。
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紀元前1200年代
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「紀元前12世紀」の記事における「紀元前1200年代」の解説
紀元前1200年頃「紀元前1200年のカタストロフ」。気候変動による東地中海の旱魃・ヒッタイト王国の崩壊・「海の民」のエジプト侵攻・ミケーネ文明(ミュケナイ文明)の衰亡が含まれる。 この変化を「青銅器時代の崩壊(Bronze Age collapse)」とも呼び、地中海や西アジアは青銅器時代から鉄器時代へ移行する。 モーセの後継者ヨシュアがカナン地方に侵入しイェリコ他を占領(イェリコの戦い)。ヨシュアに続くこの時代ヘブライ人の士師デボラ・ギデオン・サムソンらが活躍する。 ヘブライ人は地中海東岸の先住民カナン人、モアブ人、アンモン人、ミディアン人、ペリシテ人などと抗争を続ける。 中央ヨーロッパは青銅器時代後期(骨壺墓地文化(ウルネンフェルト文化)・ハルシュタット文化A期)。ハルシュタットでは岩塩が採掘され、中央ヨーロッパ各地に通じる「塩の道」が開発される。 西北インドへ進出してきたアーリヤ人達が定着する。この地でアーリア人はインド最古の文献である『リグ・ヴェーダ』を編纂し始めた(前期ヴェーダ時代)。 パンジャーブを舞台とした十王戦争でバラタ族・トリツ族がプル族ら十部族の王に勝利する。 北アメリカで先史プエブロ文化が展開。 メソアメリカではオルメカ文化のサン・ロレンソの繁栄続く(サン・ロレンソ相 - 紀元前900年頃)。 アンデス高地ではチャビン・デ・ワンタル遺跡を代表とするチャビン文化が成立する( - 紀元前200年頃)。
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