1340年代
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1340年代(せんさんびゃくよんじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1340年から1349年までの10年間を指す十年紀。
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1340年代
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詳細は「1340年代」を参照 1340年サラードの戦いにて、カスティーリャ軍が勝利し、マリーン朝はイベリア半島から撤退。 スロイスの海戦で、イングランド軍がフランス軍に勝利し、制海権を握る。 イルハン朝のジハーン・テムルを廃し、タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグがジャライル朝を建国。 ハールィチ・ヴォルィーニ戦争始まる( - 1392年)。 妙法院焼き討ち事件で佐々木道誉が上総に配流される。 1341年塩冶高貞が高師直の讒言により討たれる。 ブルターニュ継承戦争( - 1365年)。 東ローマ帝位継承戦争(1341 - 1347年)(英語版)ヨハネス5世パレオロゴスとヨハネス6世カンタクゼノスの帝位争い。 この混乱で帝国はバルカン半島の領土の多くを喪失し、小国家へと転落。 1342年花園法皇が関山慧玄を開山に迎え妙心寺が創建される。 東ローマ帝国の都市テッサロニキでゼーロータイ(熱心党)の反乱が起こる( - 1350年)。 1343年ナポリ地震(英語版)による津波で近隣のアマルフィ市街が壊滅。 1344年アラゴン王国がバレアレス諸島のマヨルカ王国を併合。 アトス山から来たアタナシオスによりメテオラに修道院が作られる(後のメガロ・メテオロン修道院)。 至正4年の黄河大氾濫(1344年の黄河大氾濫(英語版))。 1345年足利尊氏が夢窓疎石を開山に迎え天龍寺が創建される。 イブン・バトゥータが泉州から上陸し、大都で元のトゴン・テムル(順帝)に会う。 1346年クレシーの戦い。 ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」となる。 デンマーク王ヴァルデマー4世がエストニアをドイツ騎士団に売却する。 1347年ジョチ・ウルスのジャーニー・ベクによるカッファ包囲戦。カッファは黒海北岸クリミア半島のジェノヴァの植民都市で、この戦いからヨーロッパ最初のペスト感染が確認される。 ヨーロッパにおけるペスト大流行。ペストの感染は南イタリアからアルプスを超えて全域に拡大、ヨーロッパや北アフリカの人口が激減( - 1351年)。 カレー包囲戦によりカレー市がイングランド軍に降伏(「カレーの市民」)。 ハンガリー王ラヨシュ1世がナポリ女王ジョヴァンナ1世を追放、都ナポリを占領(ラヨシュ1世のナポリ遠征)。 1348年南アルプスのフリウリ地方からケルンテン地方に至る大地震発生。フィラッハで最大級の被害。 四條畷の戦いで、高師直が楠木正行を敗死させる。南朝の吉野行宮が攻撃され、後村上天皇は賀名生行宮に退避。 北朝第3代崇光天皇が即位する。 浙江で方国珍の乱が起こる。 イングランド国王エドワード3世によりガーター騎士団が設置される。ガーター勲章も制定。 神聖ローマ皇帝カール4世の命でプラハ大学(現カレル大学)が設立される。 ニュルンベルクのツンフト闘争( - 1349年)。 1349年足利尊氏の四男基氏が初代鎌倉公方として下向。 京都四条河原で「(貞和5年の)桟敷崩れの勧進田楽」。 セルビアで「ドゥシャン法典」が公布される。
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