1270年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 12世紀 - 13世紀 - 14世紀 |
十年紀: | 1240年代 1250年代 1260年代 - 1270年代 - 1280年代 1290年代 1300年代 |
年: | 1270年 1271年 1272年 1273年 1274年 1275年 1276年 1277年 1278年 1279年 |
1270年代(せんにひゃくななじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1270年から1279年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1271年
1272年
1273年
1274年
- 文永の役。
1275年
1276年
1279年
- 元が南宋を涯山の戦いで滅ぼし、150年ぶりに中国を統一する。
- 北条時宗が元のクビライが送った使者を再度斬首する。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1270年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:15 UTC 版)
詳細は「1270年代」を参照 1270年フランス国王ルイ9世による第8回十字軍。ルイ9世はチュニスで熱病にかかり死去。 パリ司教エティエンヌ・タンピエによる13命題の異端宣言。 エチオピアでザグウェ朝を滅ぼしたイクノ・アムラクがソロモン朝(英語版)を興す。 1271年クビライが大都を首都と定め、国号を大元(元)と称した。 高麗の世子(後の忠烈王)がクビライの王女クトゥルク=ケルミシュと結婚。 マムルーク朝のバイバルスが十字軍の城クラック・デ・シュヴァリエを攻略。 イギリス王太子エドワードによる第9回十字軍。 元使の趙良弼が来日。 龍ノ口法難の後、日蓮が佐渡島に流される。 1272年元使の趙良弼が再来日。 二月騒動で、北条氏名越流や時宗の異母兄時輔らが討伐される。 親鸞の娘覚信尼により大谷廟堂が建立される(後の本願寺の起源)。 陳朝で黎文休らによる最初のベトナム編年体通史『大越史記』が編纂される。 1273年ハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国君主に選ばれ、大空位時代終わる。 ボードゥアン2世の死去に伴い、シチリア王カルロ1世がラテン帝国継承権を獲得。 トマス・アクィナスが『神学大全』の著述を終える。 モンゴルが済州島(耽羅)を征服し、三別抄の乱が鎮圧される。 モンゴルが襄陽・樊城の戦いで南宋の呂文煥を降伏させる。この戦いでイスラム式の回回砲が用いられる。 文永新制。 1274年第2リヨン公会議。 文永の役。 1275年北条時宗の命で元の使者杜世忠らを龍ノ口刑場で斬る。 丁家州の戦いで、南宋が元に敗北し、宰相賈似道が逃亡、途上で暗殺される。 マリーン朝のアブー・ユースフ・ヤアクーブがイベリア半島に上陸しエシハの戦い(英語版)でカスティーリャ軍に勝利。 マムルーク朝のバイバルスがヌビアのキリスト教国マクリア(英語版)を攻撃し臣従させる。 1275年頃北条実時が称名寺に金沢文庫を創設する。 1276年博多湾に沿って防塁を築く。 元が南宋の都臨安(杭州)を制圧し、摂政謝太后と恭帝が降伏する。 エルビスターンの戦いで、マムルーク朝のバイバルスがモンゴル軍に勝利。同年バイバルスはダマスカスで病没。 1277年パリ司教エティエンヌ・タンピエによる219命題の異端宣言。 地中海のジェノヴァのガレー船がフランドルのブリュージュ外港のズウィン湾に到着。これにより地中海から大西洋を経由し北海・バルト海を結ぶ商業航路が開かれる。 1278年マルヒフェルトの戦いで神聖ローマ皇帝ルドルフ1世がベーメン王オタカル2世に勝利。 フランスのフォア伯とスペインのウルヘル司教の共同領主権のもとでアンドラの自治が認められる。 1279年元が南宋を崖山の戦いで滅ぼし、150年ぶりに中国を統一する。 北条時宗が元の使者周福らを再度斬首する。 チョーラ朝とホイサラ朝の連合軍がパーンディヤ朝軍に敗北し、チョーラ朝は滅亡。 シチリア王カルロ1世がナポリのカステル・ヌォーヴォ(英語版)(マスキオ・アンジョイーノ)を建設( - 1282年)。
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