1260年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 12世紀 - 13世紀 - 14世紀 |
十年紀: | 1230年代 1240年代 1250年代 - 1260年代 - 1270年代 1280年代 1290年代 |
年: | 1260年 1261年 1262年 1263年 1264年 1265年 1266年 1267年 1268年 1269年 |
1260年代(せんにひゃくろくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1260年から1269年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1260年
- クビライが開平府にて即位し、カラコルムのアリクブケと帝位を争い内戦になる(モンゴル帝国帝位継承戦争)。
- マムルーク朝、モンゴル軍をアイン・ジャールートの戦いで破る。
1261年
- 東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国がコンスタンティノポリスを奪回。東ローマ帝国復活。
1264年
1265年
- シモン・ド・モンフォールの議会。
1266年
1267年
1268年
1269年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1260年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:15 UTC 版)
詳細は「1260年代」を参照 1260年クビライが開平府にて即位し、カラコルムのアリクブケと帝位を争い内戦になる。 元で基本通貨となる交鈔「中統元宝交鈔(中統鈔)」が発行される。 日蓮が『立正安国論』を著わし前執権の北条時頼に送る。 フレグがイラン・イラクで自立してフレグ・ウルス(イル・ハン国)が成立。 マムルーク朝がモンゴル軍をアイン・ジャールートの戦いで破る。マムルーク朝スルタンにバイバルスが即位。 フランスのシャルトル大聖堂が竣工し献堂式が行われる。 モンタペルティの戦いで、シエーナがフィレンツェに勝利する。 ペラゴニアの戦いで、ニカイア帝国がラテン帝国・エピロス専制侯国の連合軍に勝利する。 1261年ニカイア帝国がジェノヴァとニュムファエウム条約を締結し、帝国内での特権を承認し軍事援助を引き出す。 ニカイア帝国がラテン帝国からコンスタンティノポリスを奪回。東ローマ帝国が復活しパレオロゴス朝のミカエル8世が即位。 マムルーク朝のバイバルスがアッバース朝最後のカリフの叔父をカイロに迎え入れカリフ・ムスタンスィル2世として擁立。 チベット仏教サキャ派の僧侶パスパがモンゴル帝国の国師となる。 1262年ベルケ・フレグ戦争(英語版)。 ストラスブールが司教の支配を脱し、神聖ローマ帝国自由都市となる。 1263年ラーグスの戦いで、スコットランド王アレグザンダー3世がノルウェー王ホーコン4世のスコットランド上陸を阻止し撃退。 リトアニア国王ミンダウカスが暗殺され、リトアニアに異教が復活する。 1264年アリクブケがクビライに投降し、年号が至元と改まる。 最初のモンゴルの樺太侵攻。 北条政村が鎌倉幕府第7代執権に就任。 ポーランドでカリシュの法令発布。 第二次バロン戦争( - 1267年)。 1265年東ローマ皇帝ミカエル8世がモンゴル系諸国と同盟を結ぶ。フレグ・ウルスのアバカには娘マリアを、ジョチ・ウルスのノガイには娘エウフロシュネーを娶わせる。 「ド・モンフォールの議会」でオックスフォード条項とマグナカルタが正式に承認される。同年、国王ヘンリー3世はイーブシャムの戦いでシモン・ド・モンフォールを倒す。 1266年惟康親王が鎌倉幕府第7代将軍となる。この年で『吾妻鏡』の記載が終わる。 フランス王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューがシチリア王カルロ1世となる。ベネヴェントの戦いでカルロ1世はフリードリヒ2世の庶子マンフレーディを戦死させる。 1267年クビライの命により燕京(後の大都)の都市改造が始まる。運河として通恵河が開削され、物資の集積地である都市内港の積水潭が建設される。 ムールベケのグイレルムス(英語版)がアリストテレス『霊魂論(デ・アニマ)』をギリシア語原典から直接ラテン語に翻訳。 1268年北条時宗が鎌倉幕府第8代執権に就任。 タリアコッツォの戦いでシチリア王カルロ1世がコンラート4世の子コッラディーノに勝利。コッラディーノ処刑によりホーエンシュタウフェン家が完全に断絶する。 マムルーク朝のバイバルスがアンティオキアを攻略しアンティオキア公国が滅亡する。 哲学者ロジャー・ベーコンがフランシスコ会で断罪され投獄される。 1269年マリーン朝がムワッヒド朝を滅ぼす。 パスパ文字が元の国字として公布される。 クビライの庶子アウルクチが西平王に封じられる。
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