1090年代
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1090年代(せんきゅうじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1090年から1099年までの10年間を指す十年紀。
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1090年代
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詳細は「1090年代」を参照 1090年ニザール派指導者のハサン・サッバーフがアラムート要塞を占領する。 カスティーリャ王アルフォンソ6世の娘婿ラモン・デ・ボルゴーニャによりアビラの城壁が建設される。 白河上皇の最初の熊野御幸、聖護院の僧増誉を熊野三山検校に任ずる。 1090年頃 - ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂が完成する(1063年 - )。 1091年 - マリツァ川流域のレブニオンの戦い(英語版)。東ローマ皇帝アレクシオス1世が支援したポロヴェツ族にペチェネグ族が敗北し、部族集団が壊滅。 1092年 - セルジューク朝宰相ニザーム・アルムルクが暗殺される。セルジューク朝君主のマリク・シャーが病没。 1093年北宋で宣仁太后の死去により哲宗の親政が始まり、新法党が復権(紹聖の紹述(中国語版) - 1100年)。 マリア・ラーハのベネディクト会修道院(英語版)が創設される。 1094年ファーティマ朝カリフのムスタンスィルの死去により、ムスタアリーがカリフとなり兄弟のニザールは廃嫡される。 エル・シッドがバレンシアをイスラム教徒から奪回する。 出羽国にて平師妙・師季父子が反乱を起こす。 大宰権帥藤原伊房が職権を利用して遼と私貿易を行ったことにより解任される。 1095年ローマ教皇ウルバヌス2世によるクレルモン教会会議。セルジューク朝の攻撃を受けていた東ローマ皇帝アレクシオス1世の救援要請を受け、対イスラム教徒戦への参加を呼びかける。 ニザーミーヤ学院教授ガザーリーが回心し辞職、『哲学者の自己矛盾』を執筆。 1096年第1回十字軍出発。民衆十字軍壊滅。 ドイツ・ラインラント各地でユダヤ人虐殺が発生。逃亡したユダヤ人の多くはポーランド公ヴワディスワフ1世ヘルマンのもとで庇護される。 掖庭の獄。 永長の大田楽。 1097年北宋で洛獄・同文館の獄が相次いで起こる。 ニカイア攻囲戦、ドリュラエウムの戦い。ルーム・セルジューク朝がニカイアからコンヤへ都を遷す。 1098年ノルウェー王マグヌス3世(裸足王)がオークニー諸島・マン島・ヘブリディーズ諸島を占領しスコットランドを屈服させる。 モレームのロベールがシトー修道院を設立(シトー会の創設)。 十字軍のアンティオキア占領。これに乗じてファーティマ朝がセルジューク朝からエルサレム奪還。 1099年エルサレム攻囲戦で十字軍がファーティマ朝に勝利し占領。エルサレム王国成立。この時期までにアンティオキア公国・トリポリ伯国・エデッサ伯国など十字軍国家が成立する。 白河天皇の皇子で仁和寺の覚行が親王宣下を受け、最初の法親王となる。
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