部族集団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:08 UTC 版)
トルクメン人の民族学者ジキエフは、テュルク・モンゴル系民族から形成されたカザフ、ウズベクなどの他の中央アジアのテュルク系民族の部族名がモンゴル、古代テュルクの伝統を色濃く残しているのに対し、テュルクと先住者との混血によって形成されたトルクメンなどの民族の部族名にはオグズの部族名が多く含まれていることを指摘している。トルクメン人の下位集団はティーレ、タイーパと呼ばれ、一例として以下の部族集団が挙げられる。 テケ(テッケ) - アシガバート、メルヴなどトルクメニスタン南部 エルサル(エルサリ、アルサリ) - ケルキ、サヤトなどトルクメニスタン東部 ヨムート(ヨムト、ヨムド) - ベレケト(カザンジュク)(英語版)、イランルなどトルクメニスタン西部・北部 サリク(サルク) - ムルガプ(英語版)、タグタバザル(英語版)などトルクメニスタン南東部 サリル(サラル、サルル) - チャルジェヴ、ムルガプなどトルクメニスタン東部 ギョクレン - ガルガラ、イランルなどトルクメニスタン南部 チャウドゥル (チョヴドゥル、チョウドル)- トルクメニスタン北部、アム川下流域 それぞれの部族、その下位集団は互いに争っていたが、共通の敵が現れた時には団結して抵抗した。 社会主義国時代のトルクメニスタンにも部族集団の伝統は残り、部族単位に分かれて権力闘争が展開された。特定の部族に権力が集中しないよう、異なる部族の出身者が交代して第一書記の地位に就いていた。コルホーズは部族組織に基づいて割り当てられ、行政区画は部族連合時代の勢力範囲と重なっていた。1985年にサパルムラト・ニヤゾフが第一書記に就任した際には、彼の出身部族であるテケ部族の人間は34年ぶりに自分たちの代表が指導者となったと受け止めていたと言われている。
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