モンゴルの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:52 UTC 版)
モンゴルは初め中国史書において、「室韋」という部族集団に属す「蒙兀室韋」という部族名で初登場する。室韋は大興安嶺山脈の北、アルグン川渓谷(現在のフルンボイル市)に居住していたが、9世紀になってモンゴル高原に進出し始め、10世紀、11世紀には「九姓タタル国」を建国するなど、次第にモンゴル高原における占有率を高めていった。室韋族はテュルク系民族から「オトゥズ・タタル(三十姓タタル)」「トクズ・タタル(九姓タタル)」などと呼ばれていたが、モンゴル部はそのうちの「オトゥズ・タタル(三十姓タタル)」に属しており、バイカル湖畔に居住していた。1084年、モンゴル部は契丹帝国に使者を派遣したため、『遼史』に「萌古国」という名前で記された。モンゴル部族はその後、数氏族に分かれ、周辺のタタル系部族と抗争を繰り返した。
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