モンゴルの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 15:54 UTC 版)
1218年にチンギス・カンに征服され、モンゴル帝国の一部となる。 その後、モンゴル帝国の領地が分配されるに当たり、この西遼の故地はチンギス・カンの次男チャガタイに与えられた。のちに帝国が分裂して成立するチャガタイ・ハン国の領土はほぼ西遼のそれに合致する。 チャガタイ・ハン国はパミール高原をはさんで東西に分裂し、クチャの属する東側は別名モグーリスタン・ハン国と呼ばれ、モンゴルの伝統を重んじる国家であったが、一時的に西チャガタイ・ハン国から台頭したイスラム王朝のティムール朝に従属する。モグーリスタン・ハン家はこれ以降も存続したが、15世紀の前半になると、ジョチ・ウルスの流れを汲むウズベク、カザフという二大遊牧集団に圧迫され、モグーリスタンの王族や諸部族は次第に南遷してタリム盆地のオアシスに移り、かつてのチャガタイ人(西チャガタイ・ハン国)と同様に定住化・テュルク化していった。 16世紀、チャガタイの末裔の王族たちはヤルカンド・ハン国を形成してタリム盆地西部のオアシスの支配者になっていたが、次第に政治の実権はイスラム神秘主義教団のホージャたちに奪われていった。1680年、タリム盆地全域がチベット仏教徒の遊牧部族ジュンガルによって支配されたため、チャガタイ家系のハンによる政権は消滅した。
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