モンゴルへの仕官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 13:43 UTC 版)
1201年、ジルゴアダイはタイチウト氏の首領タルグタイ・キリルトクに従って、タルグタイの族子にあたるチンギス・カンと戦った。戦いの最中にジルゴアダイは毒矢を放ち、それがチンギス・カンの首に命中するが、ジェルメの看病によって一命を取りとめた。この戦いの最中、チンギスは敵側から射られた矢によって騎乗していた愛馬を失った。 戦後チンギスが自分の馬を射た者を探し求めると、ジルゴアダイは自らが狙撃したと名乗り出る。ジルゴアダイは馬ではなくチンギス自身を狙ったと答え、さらに助命を受ければ忠義を尽くすと言った。チンギスはジルゴアダイの誠実な人格を称え、彼を許して臣下に迎えた。この時、チンギスはジルゴアダイにモンゴル語で「鏃が木製である矢」を意味するジェベの名前を与え、彼に名前を改めるよう命令した。チンギスの元でジェベは百戸長に任ぜられ、1206年のチンギスの第二次即位の際に千戸長の地位に就く。 以来ジェベは優秀かつ忠実なチンギスの将軍として名を馳せ、スブタイ、ジェルメ、クビライ・ノヤンらとともに「四狗」の一人に数えられた。1206年のナイマン遠征では、クビライ・ノヤンと共に先鋒を務めた。
※この「モンゴルへの仕官」の解説は、「ジェベ」の解説の一部です。
「モンゴルへの仕官」を含む「ジェベ」の記事については、「ジェベ」の概要を参照ください。
- モンゴルへの仕官のページへのリンク