タルグタイ・キリルトク
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タルグタイ・キリルトク(モンゴル語: Tarqūtāī Qirīltūq)とは、12世紀末に活躍したモンゴル部のボルジギン氏一門に属するタイチウト氏の首長。モンゴル部第2代カンたるアンバガイ・カンの孫に当たり、同族のキヤト氏族の長で、族子に当たるテムジン(後のチンギス・カン)とはモンゴル部族の主導権を巡って争った。『元朝秘史』では塔児忽台・乞憐禿黒と記され、チンギス・カンにとってはジャダラン氏の首長のジャムカに次ぐモンゴル部族内のライバルとして描かれている。
- ^ 村上 1970,p105
- ^ 『聖武親征録』「初族人泰赤烏部居長別林、旧無怨於我、後因其主阿丹可汗二子塔児忽台・忽憐抜都有憾、遂絶」
- ^ 『聖武親征録』「赤剌温抜都・哲別二人実泰赤烏族脱脱哥家人、亦来帰。初、上嘗為塔児忽台所執、赤剌温抜都父梭魯罕失剌密釈之、是以帰我。哲別之来、実以力窮故也。失力哥也不干手執阿忽赤抜都・塔児忽台二人来至忽都渾野、復縦之去、止将己子乃牙・阿剌二人来帰。後搠只・魯鈔罕二人率朶郎吉札剌児部、及委葉勝和率忙兀部亦来帰」
- ^ 村上1970,101頁
- ^ 村上1970,122-124頁
- ^ 『聖武親征録』「上会汪可汗於薩里河不魯古崖、発兵征泰赤烏部、与其長沆忽・阿忽出・忽憐・忽都答児別吉等大戦於斡難河上、敗之。襲帖泥忽都・徒思月哥察児別吉・塔児忽台乞憐禿黒・忽都答児、至月良兀禿剌思之野擒之、沆忽・阿忽出・忽敦忽児章走八児忽真隘、忽憐奔乃蛮部」
- ^ 吉田2019,228-229頁
- ^ 『新元史』巻117列伝14
- 1 タルグタイ・キリルトクとは
- 2 タルグタイ・キリルトクの概要
- 3 参考文献
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