モンゴルへの服属とは? わかりやすく解説

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モンゴルへの服属

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 02:25 UTC 版)

ルーム・セルジューク朝」の記事における「モンゴルへの服属」の解説

カイカーウス擁立には、イラン系官僚シャムス・アッディーン・ムハンマド・イスファハーニーが大きな役割果たした1244年にイスファハーニーは南ロシア駐屯していたモンゴル帝国重鎮バトゥの元を訪れた時、アナトリアにおけるバトゥ代官地位与えられており、この立場元に国政実権掌握したカイカーウス即位後、彼の弟のクルチ・アルスラーン(後のクルチ・アルスラーン4世)とカイクバード対立王カイクバード2世在位1249年 - 1257年)がカイカーウス共同統治者となり、貨幣とフトバにはカイカーウス三兄弟の名前が刻まれた。領主中にはクルチ・アルスラーンを単独の王に就けよう企む者もおり、イスファハーニーはクルチ・アルスラーンを支持する一派粛清するとともにクルチ・アルスラーンの生母を妻とした。イスファハーニーはクルチ・アルスラーンを国元から遠ざけるため、1246年モンゴル帝国カアン選出するクリルタイに彼を出席させた。クリルタイオゴデイ皇子グユクカアン選出された後、彼の従者からイスファハーニーの行為告発されグユクはクルチ・アルスラーンをルーム・セルジューク正式な支配者として承認する1249年帰国したクルチ・アルスラーンの党派はイスファハーニーを処刑し、クルチ・アルスラーンの単独統治要求した1249年から1256年までの間、カイカーウスとクルチ・アルスラーンは王位巡って争い互いにモンゴル宮廷働きかけを行うが、実質的にカイカーウス単独王位に就いている状態にあった。モンケ・カアンはカイカーウスとクルチ・アルスラーンの内争調停するため、クズルウルマク川を境として、ルーム・セルジューク東西分けて分割統治するように命令したモンケ裁定の後に、クルチ・アルスラーンの党派カイカーウス戦い挑む敗れ敗れたクルチ・アルスラーンは投獄された。1256年、後にイルハン朝創始者となるフレグイラン移動すると(フレグの西征)、アゼルバイジャン駐屯していたバイジュアナトリアへの移動命じられ王位を巡る状況変化が起こる。1256年10月アナトリア移動したバイジュカイカーウスの軍を破り敗れたカイカーウス一時ニカイア亡命したカイカーウス帰国後、フレグルーム・セルジューク分割統治継続承認し首都コンヤはじめとする西半分地域カイカーウスが、トカト中心とする東半分地域をクルチ・アルスラーンが支配したカイカーウスとクルチ・アルスラーンはシャムス・ウッディーン・マフムードという共通のパルヴァーナ(宰相を介して共同統治行っていたが、マフムード没する両者別々にパルヴァーナを任命した。クルチ・アルスラーンのパルヴァーナであるムイン・アッディーン・スライマーン(トルコ語版、英語版)(Muînüddin Süleyman)は自分君主単独スルターンにするため、アナトリア駐屯するモンゴル将軍アリンジャクを通してフレグカイカーウスエジプトマムルーク朝結託して反乱企てているという讒言行った事実カイカーウスマムルーク朝連絡取り合っており、1261年8月フレグ命令受けたクルチ・アルスラーンとモンゴル軍によってカイカーウスコンヤ追放されコンスタンティノープル亡命したカイカーウス追放後、クルチ・アルスラーンが単独スルターンとして即位するが、彼の登位はモンゴル帝国意向よるものであり、ルーム・セルジュークから独立した主権は既に失われていた。

※この「モンゴルへの服属」の解説は、「ルーム・セルジューク朝」の解説の一部です。
「モンゴルへの服属」を含む「ルーム・セルジューク朝」の記事については、「ルーム・セルジューク朝」の概要を参照ください。

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