ニカイアとは? わかりやすく解説

ニカイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/14 19:34 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ニカイア
ニカイア (Nicaea) の位置
ニカイア帝国時代の地図)
所在地 トルコ ブルサ県 イズニク
地域 アナトリア半島
種類 都市
歴史
文化 ギリシャ
出来事 第1ニカイア公会議
第2ニカイア公会議
ニカイア攻囲戦

ニカイアΝίκαια)は、古典ギリシア語で「ニケ(勝利)の街」を意味する都市名である。中世ギリシア語・現代ギリシア語ラテン語ではニケアで、ニカエア、ニケーアと書かれることもある。ヘレニズム世界の各地に同名の町が複数あり、フランスニースの古名もニカイア(ニカエア)である。

史上もっとも有名なニカイアは、小アジアビテュニアのヘレニズム都市である。ビテュニアのニカイアは、現在のトルコの都市、イズニクにあたり、初期キリスト教の教義確立に大きな影響を与えた、二つの公会議325年および785年)の開催地、東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国の首都として知られる。

ビテュニアのニカイア

ニカイアの城壁

ビテュニアのニカイアはアスカリオン湖(現イズニク湖)に面し、紀元前310年頃、古代マケドニアアレクサンドロス3世の死後、小アジアを支配したアンティゴノスによって建設された。当初の名をアンティゴネアという。後継者戦争でアンティゴノスが敗れると、街はテッサリアの将軍リュシマコスのものとなり、リュシマコスは妻の名にちなんでニカイアと街の名を改めた。

ヘレニズム時代のニカイアからは天文学者ヒッパルコスおよび数学者・天文学者スポルスが出た。

ニカイアはガラティアプリュギアへの街道が交叉する場所に位置し、交易が盛んに行われた。ローマ帝国時代にはさほど軍事的に重要視されなかったが、近隣のビュザンティオンがローマ帝国の首都と定められるにおよび、改名した新首都コンスタンティノープルの南に位置する防衛拠点として強化された。当時の城壁などは現在も一部残っているが、4世紀はじめにあった数度の地震により、かなりの部分がいったんは廃墟となった。

ニカイア公会議

325年、ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世により、当時キリスト教会内で紛争の的となっていたさまざまな教義についての対立を討議する会議を開く場所として選ばれた。ローマ帝国領内、つまり当時キリスト教会が広がっていたすべての範囲から聖職者と主な信徒が招かれた。これがはじめての世界公会議(エキュメニカル公会議)である第1ニカイア公会議である。出席人数には諸説あるが、数百人を超える出席者が参会した。ほとんどの参加者は東方教会に属し、西方教会からはローマ教皇の使節が参加した。会議の結果、キリスト養子論を唱えるアリウス派が異端とされ、アレクサンドリア司教アレクサンドロスと彼の輩下で当時助祭のアタナシオスの主張する父なる神と子なるキリストを同一本質とする教理が全会一致で教会の公認の教理と宣言された。このとき採択された信仰箇条がニカイア信経である。また復活祭の日付の計算法が春分のあとの満月の次の日曜日と定まり、これは現在も受け継がれている。禁教下でひとたび離教を表明した者の復帰も議題となり、これは悔い改めたものには復帰を許すことが教義として定められた。

第2ニカイア公会議は785年に東ローマ帝国の摂政エイレーネーによって召集された。東方教会で激しい論争になっていた聖像使用の問題がとりあげられ、聖像破壊論者が異端と宣告された。

セルジューク朝

ニカイアは長らく東ローマ帝国の都市として繁栄したが、トルコ人イスラム王朝であるセルジューク朝西アジアに興ると、1077年これに奪取された。数度の奪回戦ののち、1078年にはセルジューク朝の一派ルーム・セルジューク朝の手に帰し、その首都とされた。1095年第1回十字軍は東ローマ帝国の要請をうけ、1097年に東ローマ帝国の軍隊と共同でニカイア城の包囲戦を行いニカイアを回復(ニカイア攻囲戦)、ルーム・セルジューク朝は小アジア内陸部の都市イコニオン(現コンヤ)に首都を移した。

十字軍とニカイア帝国

1204年第4回十字軍がコンスタンティノープルを陥落させると、東ローマ帝国の残存勢力の一派を率いるラスカリス家がニカイアに拠った。これを史上、ニカイア帝国と呼ぶ。東ローマ帝国の残存勢力はエピロス専制侯国トレビゾンド帝国などもあったが、テオドロス1世ラスカリスによるニカイアのものがもっとも強力であった。1259年になるとニカイア帝国のミカエル8世パレオロゴスはコンスタンティノープルを回復し、東ローマ帝国を再建した。

ニカイア帝国がコンスタンティノープルに去った後、ニカイアは再び東ローマの首都近郊の地方都市となったが、1331年になってトルコ人のオスマン帝国によって奪われ、イスラム教徒の手に移った。トルコ人はこの町の名前をなまらせてイズニクと呼ぶようになる。

近代

1453年コンスタンティノープルの陥落後はニカイアの政治的重要性は減少したが、17世紀まで、この町は小アジア地方における窯業の中心地であった。しかし、18世紀以降陶器生産の中心は南のキュタヒヤに移り衰退。鉄道路線がこの地域を迂回した後は、経済的な重要性を減じて地方の小都市となり、現在に至っている。現在のイズニクの人口は18,000人程度である。

関連項目


ニカイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 14:42 UTC 版)

デビルサバイバー2」の記事における「ニカイア」の解説

通称死に顔動画」。前作の「ラプラスメール」と類似したシステム携帯サイト「ニカイア」に登録することで、将来的に深い縁を持つことがありうる人物の死に様動画配信される。その映像出来事近い将来において発生するため、プレイヤー行動次第で死を回避できる。なお、自分死に顔動画届かない

※この「ニカイア」の解説は、「デビルサバイバー2」の解説の一部です。
「ニカイア」を含む「デビルサバイバー2」の記事については、「デビルサバイバー2」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ニカイア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「ニカイア」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



ニカイアと同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ニカイア」の関連用語

ニカイアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ニカイアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのニカイア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのデビルサバイバー2 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS