東ローマ帝国軍の到着とニカイアの降伏とは? わかりやすく解説

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東ローマ帝国軍の到着とニカイアの降伏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 06:06 UTC 版)

ニカイア攻囲戦」の記事における「東ローマ帝国軍の到着とニカイアの降伏」の解説

東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノス十字軍連合して戦うことはせず十字軍後方進軍しており、ニカイア攻囲戦最中はペレカヌム(Pelecanum)付近に取っていた。皇帝陣地から軍船陸送してアスカニウス湖に浮かばせ、十字軍ニカイア封鎖支援しようとした。これによりニカイア外部からの食糧補給となっていた湖上水運を失うはずであった。船は、6月17日に Manuel Boutoumites の指揮下で湖に到着した将軍タティキオス(Tatikios)も2,000人の歩兵とともにニカイア到着した一方十字軍ニカイア陥落後に略奪虐殺をするのを恐れアレクシオス1世は、 Boutoumites 将軍に、十字軍には極秘ニカイア市と降伏交渉進めよ命じた。タティキオスが十字軍合流して城壁への直接攻撃を行う間、Boutoumites は城壁攻め振りをして交渉行いあたかも戦いでニカイア征服したように見せかけるようにとの指令だった。クルチ・アルスラーン1世撤退前にギリシア人市民らにアレクシオス1世への降伏勧めていた。こうして6月19日テュルク人守備兵は Boutoumites 将軍投降しニカイアには東ローマの旗が翻った十字軍にとって、ニカイア降伏寝耳に水出来事だった。アレクシオス1世が行った極秘交渉対し十字軍諸公激怒したニカイア守備命じられたBoutoumites 将軍は、十字軍将兵入市制限し一度10人以上の集団組んでニカイアに入ることを禁じた。これにより十字軍ニカイア占領略奪して金銀食糧補給することが出来なくなった。さらにテュルク人信頼できない将軍たちも市内から追放した将軍らは実際東ローマ皇帝への面会に向かう途中案内人質取ろうとさえした)。市内残っていたクルチ・アルスラーン1世家族らはコンスタンティノープルへ連行されたが、最終的に身代金なしでクルチ・アルスラーン1世のもとへ釈放された。 アレクシオス1世十字軍資金軍馬その他の褒美与えたが、ニカイアを自ら占領できればもっと多くのものを得られたはずだと考え十字軍将兵怒りは収まらなかった。Boutoumites は十字軍対しアレクシオス1世への臣下誓いコンスタンティノープルでまだ示していない者は、ここで誓わない限り出発許さないとした。タンクレードは、すでにコンスタンティノープル誓ったといって真っ先拒絶したが、最終的に誓いさせられた。

※この「東ローマ帝国軍の到着とニカイアの降伏」の解説は、「ニカイア攻囲戦」の解説の一部です。
「東ローマ帝国軍の到着とニカイアの降伏」を含む「ニカイア攻囲戦」の記事については、「ニカイア攻囲戦」の概要を参照ください。

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