フレグの西征
フレグの西征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 21:49 UTC 版)
フレグは兄であるモンゴル帝国第4代皇帝(カアン)モンケによりモンゴル高原の諸部族からなる征西軍を率いて西アジア遠征(フレグの西征)を命ぜられ、1253年にモンゴルを出発、1256年に中央に送還されたホラーサーン総督に代わってイランの行政権を獲得し、のちのイルハン朝がイラン政権として事実上成立した。1256年にニザール派(暗殺教団)のルクヌッディーン・フルシャー(英語版)が降伏すると、フレグはイランの制圧を完了させた。1258年にイラクに入ってバグダードを攻略(バグダードの戦い)、アッバース朝を滅ぼして西アジア東部をモンゴル帝国の支配下に置き、西部進出を伺った。1260年、フレグはシリアに進出(モンゴルのシリア侵攻(英語版))、アレッポとダマスカスを支配下に置いた。
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