若手~中堅時代とは? わかりやすく解説

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若手~中堅時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:20 UTC 版)

旭天鵬勝」の記事における「若手~中堅時代」の解説

もともと相撲柔道経験はほとんどなく、中学時代バスケットボールをしていた。1992年2月旭鷲山旭天山と共に来日して大島部屋入門し大相撲史上初のモンゴル出身力士1人として同年3月場所において初土俵を踏む。四股名旭天鵬』のうち『』の字は、横綱大鵬にちなむ。 来日して半年後に、稽古厳しさ日本の食文化などに馴染めず、共に来日した5人と部屋脱走しモンゴル大使館駆け込むが、モンゴル実家まで来た師匠2代大島(元大関旭國)に「3年間は相撲を取るという約束がある」「今に相撲モンゴルの時代になる」と説得され部屋戻ったとはいえ脱走から戻ってきた力士への部屋の衆からの目は厳しく実際脱走直後1993年1月場所はその雰囲気に耐えられなかったため、大使館から場所入りするという特別待遇認めてもらうことでやり過ごした来日後の3か月間は通訳付いたものの、部屋ルールモンゴル語一言しゃべるごとに罰金3000円、カラオケ覚える、などの工夫によりほとんど辞書使わず流暢な日本語修得した。後にはその経験買われて、2000年5月30日に「学習ストラテジー概論効果的な言語習得のために」というテーマで、早稲田大学日本語研究教育センター教授宮崎里司と対話形式授業行ったことがあるその内容は『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか』(日本語学研究所2001年ISBN 4625683181)という宮崎里司の著書でも紹介されている。 1994年3月場所幕下昇進し1996年1月場所には西幕下9目の位置で7戦全勝という成績挙げて優勝決定戦まで進出した優勝決定戦ではこの場所において幕下付出初土俵踏んだ熊谷敗れたものの、「幕下15以内で7戦全勝すれば無条件十両昇進する」という内規により、翌3月場所において新十両へ昇進したその後途中で幕下陥落することもあったものの、約2年間にわたって十両在位し1998年1月場所において新入幕果たしたその後十両へ2回陥落したものの、1999年5月場所に3回目入幕果たしてからは幕内定着し2000年1月場所では11勝4敗と幕内では自身初となる二桁勝利を挙げて初の敢闘賞受賞した2002年1月場所では新三役となる東小結昇進した2002年9月場所では横綱貴乃花破って初の金星挙げた2003年3月場所には横綱朝青龍掛け投げ破り2個目の金星挙げ東前筆頭位置で9勝6敗と勝ち越して2回目敢闘賞受賞した西小結へ昇進した5月場所でも10勝5敗と三役としては自身初となる勝ち越し決めて3回目敢闘賞受賞した自己最高位となる西関脇へと昇進した7月場所では6勝9敗と負け越したものの、翌9月場所では東前2枚目の位置10勝5敗の好成績挙げて4回目敢闘賞受賞した

※この「若手~中堅時代」の解説は、「旭天鵬勝」の解説の一部です。
「若手~中堅時代」を含む「旭天鵬勝」の記事については、「旭天鵬勝」の概要を参照ください。

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