「アイマク」との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:47 UTC 版)
「投下 (モンゴル帝国)」の記事における「「アイマク」との関係」の解説
前述したように、「投下」はモンゴル語ではアイマク(Ayimaq)と呼ばれていた。「アイマク」は元来「同一の地域において遊牧するユルトの群」、すなわち「(遊牧民の)部落」を意味する単語であり、チンギス・カンによって新たに編成された万人隊・千人隊・百人隊もまたアイマクと呼ばれていた。この、チンギス時代に作られた新編成の部族集団(アイマク)は征服戦争で得られた人口・土地を取り込んで拡大し、やがて征服地の投下領もまた「アイマク」の名で呼ばれるようになった。しかし、本質的に「アイマク」とは「部族集団」を指し、「投下」のように領主自身を指すことはない。漢文史料上では「投下・愛馬(アイマクの音写)」のように両者を並記することもあるが、この場合前者は投下領主、後者は投下領を指すものと考えられる。 なお、征服地に設定された「投下」は漢文史料では「封邑」「采邑」とも意訳されるため、モンゴル史研究者の間では「投下領」と呼ばれることも多い。ただし、 モンゴル語で「国」を意味する「ウルス(ulus)」が原義としては「人の集まり」であるように、「投下」もまた「領民」が第一義であって 「領地」はそれに付随するものにすぎない。そのため、「投下“領"」のように土地そのものが重要であるような表現は用いるべきではないとする意見もある。
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