1250年代
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1250年代(せんにひゃくごじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1250年から1259年までの10年間を指す十年紀。
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1250年代
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詳細は「1250年代」を参照 1250年マンスーラの戦いとファルスクールの戦い(英語版)でエジプトのマムルーク軍団が十字軍に勝利しルイ9世を捕虜とする。マムルーク軍団はトゥーラーン・シャーを倒しシャジャル・アッ・ドゥッルを君主に擁立(マムルーク朝成立)。 スウェーデン王ビルイェル・ヤールによるフィンランド遠征(北方十字軍)。 1250年頃ペルーのチムー王国チャンチャン遺跡近郊のパンパ・ラ・クルスの大量の人身供犠はこの時代のもの。 1251年了行法師らの謀反事件(建長の政変)。 伽耶山海印寺の高麗版大蔵経が完成する。 1251年の羊飼い十字軍(英語版)。 リトアニア大公ミンダウガスが初代リトアニア国王となる。 モンゴル帝国第4代皇帝モンケが即位。摂政監国だったオグルガイミシュが殺害される。 1252年宗尊親王が鎌倉幕府第6代将軍となる。 高徳院大仏(鎌倉大仏)が着工される。 フィレンツェでフローリン金貨が発行される(近代貨幣制度の先駆け)。 カスティーリャ王アルフォンソ10世の命で作られた「アルフォンソ天文表」はこの年を基軸にしている。 1253年モンケ・カアンの命によるフレグの征西が始まる。 クビライの雲南・大理遠征により大理が降伏する。 フランス国王ルイ9世の命でウィリアム・ルブルックがモンゴル帝国に派遣される。 北条時頼が蘭渓道隆を開山に迎え建長寺が創建される。 ハールィチ・ヴォルィーニ大公ダヌィーロ・ロマーノヴィチがローマ教皇インノケンティウス4世からルーシ王の称号を授かる。 1254年神聖ローマ皇帝コンラート4世死去(大空位時代が始まる( - 1273年))。ホラント伯ウィレムが名目上の皇帝に選出され、「神聖ローマ帝国」の国号を初めて用いる。 ケルンやマインツがライン都市同盟を結成する。 フランス王ルイ9世がエジプトから持ち帰った「黒い聖母」をル・ピュイ=アン=ヴレのノートルダム大聖堂に奉献する。 1255年ポルトガル王アフォンソ3世がコインブラからリスボンに遷都。 聖ラザロ騎士団が教皇に正式に認可される。 ドイツ騎士団によりケーニヒスベルクが建設される。 1256年北条長時が鎌倉幕府第6代執権に就任。 クビライが閃電河河畔に開平府(後の上都(ザナドゥ))を築く。 教皇アレクサンデル4世により各地の隠修士団体が統合され聖アウグスティノ修道会が成立する。 1257年インドネシア・ロンボク島のサマラス火山(リンジャニ山東側カルデラ)の大噴火。 アラムート城砦のニザール派がモンゴルに降伏する。 正嘉鎌倉地震。 1258年バグダードの戦いで勝利したモンゴルのフレグがバグダードへ入城。カリフのムスタアスィムを処刑し、アッバース朝を滅ぼす。 シモン・ド・モンフォールらが国王ヘンリー3世にオックスフォード条項を認めさせる。翌1259年にウェストミンスター条項に拡大される。 正嘉の飢饉。 1259年モンケが合州城近郊の釣魚山にて陣没。 後深草天皇が譲位し、第90代亀山天皇が即位。 崔氏政権が倒れ、高麗がモンゴルに降伏。 ペラゴニアの戦いで、ニカイア帝国がエピロス・アカイア・シチリア連合軍に勝利する。
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