1280年代
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1280年代(せんにひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1280年から1289年までの10年間を指す十年紀。
- 1 1280年代とは
- 2 1280年代の概要
1280年代
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詳細は「1280年代」を参照 1280年元で郭守敬が「授時暦」を完成させる。 1281年亀山天皇が譲位し、第90代後宇多天皇が即位。 弘安の役。 教皇マルティヌス4世が東ローマ皇帝ミカエル8世を破門にする。 1282年シチリアの晩禱事件。 ウェールズ公ルウェリン・アプ・グリフィズがイングランド王エドワード1世に敗れ、ウェールズは独立を喪失。 神聖ローマ皇帝ルドルフ1世がオーストリア・シュタイアーマルクを獲得。 元への帰順を拒み南宋の遺臣文天祥が刑死する。 北条時宗が無学祖元を開山に迎え円覚寺が創建される。 日蓮が武蔵国池上郷で死去、その滞在地が池上本門寺となる。 1283年元で京杭大運河(済州河・会通河・通恵河)の改修が始まる( - 1292年)。 元軍がアンコール・トムに侵攻する。 1284年北条貞時が鎌倉幕府第9代執権に就任。安達泰盛らによる弘安徳政の実施。 ドイツ・ハーメルンで約130人の子供が集団失踪(「ハーメルンの笛吹き男」伝説のおこり)。 ナポリ湾の海戦でアラゴン王ペドロ3世がナポリ王カルロ1世に勝利。アラゴン十字軍が始まる。 メロリアの海戦 (1284年)(英語版)でジェノヴァがピサに勝利し、ティレニア海の覇権を握る。 1285年霜月騒動にて平頼綱が安達泰盛らを討つ。 クビライが三度目の征東行省を設置(第三次日本侵攻を計画するも実現せず)。 1287年後宇多天皇が譲位し、第92代伏見天皇が即位。 パガンの戦いで元がパガン朝を滅ぼす。 元でナヤン・カダアンの乱( - 1292年)。 「聖ルチア祭の洪水(英語版)」で、ゾイデル海の開口部が北海とつながる。 1288年白藤江の戦いで陳朝ベトナムが元朝に勝利。 イルハン朝の使節ラッバーン・バール・サウマがローマ教皇ニコラウス4世ほか各国君主と会見。 1289年久明親王が鎌倉幕府第8代将軍となる。 マムルーク朝が十字軍支配のトリポリを占領。
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