1320年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 13世紀 - 14世紀 - 15世紀 |
十年紀: | 1290年代 1300年代 1310年代 - 1320年代 - 1330年代 1340年代 1350年代 |
年: | 1320年 1321年 1322年 1323年 1324年 1325年 1326年 1327年 1328年 1329年 |
1320年代(せんさんびゃくにじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1320年から1329年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1324年
1325年
- イヴァン1世モスクワ大公となる。
1328年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1320年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 12:03 UTC 版)
詳細は「1320年代」を参照 1320年デリーでトゥグルク朝が成立。 1320年の羊飼い十字軍(英語版)。 スコットランドでアーブロース宣言を採択、イングランドからの独立が決定的に。 1321年ダンテ・アリギエーリが『神曲』を完成させ、この年に死去してラヴェンナに葬られる。 東ローマ皇帝アンドロニコス2世に対し孫のアンドロニコスが反乱を起こす( - 1328年)。 1322年ミュールドルフの戦い(英語版)で、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世がハプスブルク家のフリードリヒ美王に勝利。 安藤氏の内紛から津軽大乱が発生。 1323年南坡の変で、元の皇帝シデバラ(英宗)が御史大夫テクシに暗殺される。 トゥグルク朝の王子ウルグ・ハーンが南インド遠征でカーカティーヤ朝とパーンディヤ朝を滅ぼし、ホイサラ朝を再服従させる。 1303年とこの年のエジプトの大地震により、アレクサンドリアの大灯台が完全に崩壊する。 この頃、元から日本へ向かう東福寺造営料唐船が現在の韓国全羅南道新安郡沖で沈没(新安沈船)。 1324年後醍醐天皇の挙兵計画である 正中の変が発覚。 マリ王国のマンサ・ムーサのメッカ巡礼。 1325年イブン・バットゥータのメッカ巡礼、以後30年にわたる大旅行の始まり( - 1355年)。 アステカ人がテスココ湖の島に都市テノチティトランを築く。 正中の宗論にて、大徳寺の宗峰妙超が南都北嶺の学僧に勝利。 藤沢の清浄光寺(遊行寺)が創建される。 1326年嘉暦の騒動北条貞顕が鎌倉幕府第15代執権に就任。わずか10日で辞職。 北条守時が鎌倉幕府第16代執権に就任。 チャガタイ・ハン国の東西分裂。 オッカムのウィリアムが異端宣告を受ける。 1327年王妃イザベラによりイングランド王エドワード2世が廃位され、息子エドワード3世が即位。 ジェーラムの戦いで、ムハンマド・ビン・トゥグルクがチャガタイ・ハン国を撃破。 キプチャク・ハン国に対するトヴェリ蜂起。 パドヴァのマルシリウスが破門される。 ウルムのツンフト闘争。 1328年元で天暦の変(中国語版)。 フランスでカペー朝本家が断絶。分家のフィリップ6世が即位しヴァロワ朝が始まる。 ルートヴィヒ4世がイタリア遠征途上のローマで神聖ローマ皇帝として戴冠される。 東ローマ皇帝アンドロニコス2世が退位させられ、孫のアンドロニコス3世が即位。 モスクワ公イヴァン1世が、ウズベク・ハンからウラジーミル大公の位を獲得して、モスクワ大公国に昇格する。キエフと全ルーシの府主教座がウラジーミルからモスクワに遷される。 イスラム法学者イブン・タイミーヤがダマスクスで獄死する。 1329年マイスター・エックハルト(1328年に死去)の著作と教説が異端宣告される。
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