1070年代
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1070年代(せんななじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1070年から1079年までの10年間を指す十年紀。
- 1 1070年代とは
- 2 1070年代の概要
1070年代
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詳細は「1070年代」を参照 1070年東チャールキヤ王クロトゥンガがクロトゥンガ・チョーラ1世として即位、東チャールキヤ朝がチョーラ朝を継ぐ形で合併される。 スリランカで国王ウィジャヤバーフ1世がチョーラ朝勢力を追放する。 ノルウェー国王オーラヴ3世ヒッレが交易都市ベルゲンを建設する。 北宋の周敦頤が『太極図説』を撰述する。 延久蝦夷合戦。 1071年マンツィケルトの戦い。東ローマ皇帝ロマノス4世がセルジューク朝スルタンのアルプ・アルスラーンに大敗し捕虜となる。 ロマノス4世の廃位により東ローマ皇帝ミカエル7世ドゥーカスが即位。またこれ以後小アジアにトルコ人が定住し始める。 東ローマ帝国のイタリア最後の拠点バーリがノルマン人に征服される。 ムラービト朝のユースフ・イブン・ターシュフィーンが新都マラケシュを建設する。 1073年後三条天皇が崩御し、白河天皇が即位。 教皇グレゴリウス7世が選出され、グレゴリウス改革が始まる。 セルジューク朝のマリク・シャーの招聘によりウマル・ハイヤームがメルブの天文台所長となる。 東ローマ皇帝ミカエル7世のもとで宦官ニケフォリツィス(英語版)が政府首班になる。穀物販売業を国営化したことで物価上昇し、ソリドゥス金貨の金保有率が大幅に下落する。 1074年藤原頼通が死去、上東門院彰子が死去。 セルジューク朝のマリク・シャーが都をエスファハーンに定める。 北宋で銅銭(宋銭)の輸出を解禁する。 1075年教皇グレゴリウス7世による「ディクタトゥス・パパエ(英語版)(教皇令27ヶ条)」が布告される。 ミラノの大火で聖堂が焼失し、その混乱に乗じてパタリア運動(英語版)の指導者エルレンバルドゥス(英語版)が暗殺される。 ヴェネツィア元首ドメニコ・セルヴォと東ローマ帝国皇女テオドラの結婚。 北宋と李朝大越との戦い( - 1076年)。 1076年白河天皇が法勝寺(六勝寺の最初)を建立する。 李常傑率いる李朝大越軍が如月江・富良江の戦いで北宋軍を破る。 セルジューク朝がファーティマ朝からエルサレムを奪う。 ムラービト朝がガーナ王国を滅ぼす。 1077年カノッサの屈辱で、教皇グレゴリウス7世が神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の破門を解除。 ルーム・セルジューク朝が成立。 マフムード・カーシュガリーによる最初のトルコ語辞典『トルコ語集成』が作られる アルフォンソ6世が教皇に対抗し「ヒスパニア皇帝」を名乗る。アルフォンソ6世によりサンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂建設が始まる( - 1211年)。 ノルマンディーのバイユー大聖堂が奉献される。「バイユーのタペストリー」が完成する。 1078年東ローマ皇帝ミカエル7世が政変で退位し、ニケフォロス3世が即位。カラブリュエの戦い(英語版)。 イングランド王ウィリアム1世がロンドンに要塞を建設する(ロンドン塔の始まり)。 ローマ教皇グレゴリウス7世がユダヤ人に対し「公職追放令」を布告する。 1079年蘇軾が「湖州謝表」(『東坡烏台詩案』所収)の筆禍事件で黄州に追放される。 高麗王文宗から日本への医師招請事件( - 1080年)。
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