1360年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 13世紀 - 14世紀 - 15世紀 |
十年紀: | 1330年代 1340年代 1350年代 - 1360年代 - 1370年代 1380年代 1390年代 |
年: | 1360年 1361年 1362年 1363年 1364年 1365年 1366年 1367年 1368年 1369年 |
1360年代(せんさんびゃくろくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1360年から1369年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1367年
- 足利義詮没。
1368年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、1360年代に関するカテゴリがあります。
1360年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 12:03 UTC 版)
詳細は「1360年代」を参照 1360年ブレティニー条約(ブレティニ・カレー条約)が結ばれる。イギリス王はフランス王位請求権を破棄、イギリス王のガスコーニュ・ギュイエンヌ領有をフランス王は承認。 1361年康安の変で、幕府執事細川清氏が佐々木道誉らにより失脚させられる。 スコータイ朝のリタイ王がスリランカから高僧を招き出家する。これはタイの君主として初めての出家で、経緯を記録したマンゴー林石碑が建てられる。 1362年デンマークとハンザ同盟との戦争が始まる( - 1370年)。 1363年ヴァロワ家のフィリップ豪胆公がブルゴーニュ公となる(ブルゴーニュ公国の成立)。 ルドルフ4世がチロル伯領を奪取。 鄱陽湖の戦い。 1364年アヴィニョン教皇宮殿が完成する(1335年 - )。 1365年元で皇太子アユルシリダラと結んだ将軍ココテムルがボロト・テムル政権を倒す。 オーストリア公ルドルフ4世がウィーン大学を創設する。 1366年オスマン帝国のムラト1世がブルサからエディルネに遷都。 貞治の変で、幕府執事斯波義将とその父斯波高経が佐々木道誉らに失脚させられる。 カスティーリャ王ペドロ1世が庶兄エンリケに追放される(第一次カスティーリャ継承戦争の始まり)。 1367年ナヘラの戦いで、エドワード黒太子の協力によりペドロ1世がカスティーリャ王に復帰。 フランス王シャルル5世による王室文庫が設立される(フランス国立図書館の始まり)。 1368年摂津国住吉行宮で後村上天皇が死去し、第98代長慶天皇が即位。 足利義満が室町幕府第3代将軍となる。 応安の半済令施行。 朱元璋が応天府(南京)にて明朝を建て、一世一元の制のもと洪武帝となる。明軍の北伐により元朝の順帝は大都を捨て、漠北に逃れる(北元)。 アウクスブルクのツンフト闘争が成功する。 1369年モンティエルの戦いでカスティーリャ王ペドロ1世が殺害される。殺害したトラスタマラ伯エンリケがエンリケ2世として王位に就く(トラスタマラ朝の成立)。 ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公とフランドル女伯マルグリット3世の結婚。 南朝方の左兵衛督楠木正儀が北朝方に出奔する。 日本最大の板碑である野上下郷石塔婆(埼玉県秩父郡長瀞町)が建立される。
※この「1360年代」の解説は、「14世紀」の解説の一部です。
「1360年代」を含む「14世紀」の記事については、「14世紀」の概要を参照ください。
- 1360年代のページへのリンク