1040年代
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1040年代(せんよんじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1040年から1049年までの10年間を指す十年紀。
- 1 1040年代とは
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1040年代
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詳細は「1040年代」を参照 1040年代日本で公田官物率法が制定され、国司苛政上訴が収束する。 1040年マクベスがスコットランド王ダンカン1世を殺害し王位を奪う。 ダンダーナカーンの戦いで、セルジューク朝がガズナ朝に勝利しイランに進出する。 1041年 - カラハン朝が東西に分裂。 1042年東ローマ皇帝ミカエル5世が政変で廃位され、ゾエとテオドラの姉妹の皇女が共同女帝に立てられる。 インドのヴィクラマシーラ寺院のアティーシャがチベットのグゲ王国に入国しトリン寺に滞在する。 1043年 - 慶暦の改革により范仲淹・欧陽脩らが抜擢される。欧陽脩が『朋友論』を執筆。 1044年慶暦の和約。 アノーヤター王が即位し、パガン朝の発展が始まる。 ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑が開かれる。 1045年後朱雀天皇が崩御し、後冷泉天皇が即位。 東ローマ帝国がバグラト朝アルメニア王国を滅ぼし都アニを占領。アルメニア人のディアスポラが生じる。 エドワード懺悔王(証聖王)がテムズ川上流にウェストミンスター聖堂を建立( - 1050年)。 東ローマ皇帝コンスタンティノス9世によりコンスタンティノポリス大学が再編される。 1046年スートリ教会会議で神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世が三教皇の鼎立を終わらせる。 キエフ大公ヤロスラフ1世の公子フセヴォロド(後のフセヴォロド1世)と東ローマ皇帝コンスタンティノス9世モノマコスの皇女の結婚。 1047年 - 遼の章聖皇太后により内モンゴル自治区慶州の白塔(遼釈迦仏舎利塔)が建立される。 1048年 - ノルマン人が北アフリカのチュニスを占領( - 1058年)。
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