1650年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/23 18:11 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 16世紀 - 17世紀 - 18世紀 |
十年紀: | 1620年代 1630年代 1640年代 - 1650年代 - 1660年代 1670年代 1680年代 |
年: | 1650年 1651年 1652年 1653年 1654年 1655年 1656年 1657年 1658年 1659年 |
1650年代(せんろっぴゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1650年から1659年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1650年
1651年
- 1月1日 - チャールズ2世がスコットランド王に即位。
- 9月(旧暦7月) - 慶安の変。
- 9月3日 - ウスターの戦い。チャールズ2世、敗れてヨーロッパ大陸へ亡命。
- 10月2日(慶安4年8月18日)徳川家綱が江戸幕府第4代将軍となる。
- トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』刊行。
1652年
1653年
- 玉川兄弟が玉川上水を開削(1654年通水開始)。
- 4月20日 - イングランド共和国:オリバー・クロムウェル、クーデターでランプ議会(長期議会)を解散。7月4日にベアボーンズ議会を召集。
- 12月12日 - イングランド共和国:クロムウェル、ベアボーンズ議会を解散。12月16日に『統治章典』が公布され護国卿となる(-1658年)。
- ムガル帝国:タージ・マハル完成。
1654年
- 中国・甘粛でマグニチュード8の地震(天水地震)が発生。死者31,000人。
- オランダ・デルフトで火薬庫の火薬が爆発、市街地が大きな被害を受ける(デルフト大爆発)。死者100人以上、負傷者1,000人以上。
- スウェーデン・バルト帝国、クリスティーナ女王退位。新国王にカール10世即位。
- ロシア・ポーランド戦争(-1667年)。
1655年
1656年
1657年
- 明暦の大火。当時の江戸の大半が焼失。死者102,100余人。
- オットー・フォン・ゲーリケ、マクデブルクの半球の真空実験を行う。
- 5月25日 - イングランド共和国で『謙虚な請願と勧告』制定。6月26日に護国卿オリバー・クロムウェルの就任式が行われる。
1658年
- 日本:元号を万治に改元。
- シャー・ジャハーン、ムガル帝国皇帝位を失う(アウラングゼーブの帝位簒奪)。
- 9月3日 - オリバー・クロムウェル死去、息子リチャード・クロムウェルが護国卿となる(-1659年)。
1659年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1650年代
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詳細は「1650年代」を参照 1650年ダンバーの戦いで、クロムウェル率いるイングランド軍がデイヴィッド・レズリー率いるスコットランド軍に勝利。 ヤアーリバ朝がポルトガルからマスカットを奪回しオマーン全土を回復。インド洋全域を商業圏とし東アフリカ海岸部を勢力下に置く(オマーン海洋帝国、1696年〜)。 広州で庚寅の劫。摂政王ドルゴン死去。 琉球王尚質の命により羽地朝秀が『中山世鑑』を編纂、琉球王国初の正史となる。 1651年徳川家光死去、徳川家綱が江戸幕府第4代将軍となる。刈谷藩主松平定政の所領返上の申し出と改易。慶安の変による由井正雪一派の処刑。 末期養子の禁が緩和される。 順治帝の命により摂政王ドルゴンの爵位が剝脱され、同母弟アジゲらが粛清される。 イングランドが航海条例を制定。ウスターの戦いでイングランド軍がチャールズ1世の息子チャールズ2世を撃退。 トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』が刊行される。 ローマのナヴォーナ広場と付随する「四大河の噴水」が完成する。 オスマン皇帝メフメト4世の祖母キョセム・スルタンが、皇帝の母トゥルハン・ハティジェに倒される。 1652年第一次英蘭戦争( - 1654年)。 承応の変。 北京で清の順治帝がダライ・ラマ5世と会見する。 1653年クロムウェルがランプ議会(長期議会)を解散し、ベアボーンズ議会を招集する。「統治章典」が制定され、クロムウェルが護国卿に就任。 モスクワ総主教ニーコンの教会改革が始まる。 オランダ人ヘンドリック・ハメルらが済州島に漂着。以後13年間李氏朝鮮に幽閉される(『朝鮮幽囚記』)。 1654年後光明天皇が死去し、第111代後西天皇が即位。 中国人僧隠元隆琦が日本に来訪する。 オランダのデルフトで火薬庫大爆発。 1655年北東欧の覇権をめぐる北方戦争が起こる( - 1661年)。スウェーデン軍のワルシャワ占領により、ポーランドの「大洪水時代」始まる( - 1660年)。 前スウェーデン女王クリスティーナがカトリックに改宗。 イギリス海軍がスペイン領ジャマイカを占領。 ピエモンテ渓谷のワルドー派虐殺(英語版)。 後水尾院の命で比叡山麓に修学院離宮が造営される。 1656年キョプリュリュ・メフメト・パシャがオスマン帝国大宰相に就任し改革を断行(キョプリュリュ時代の始まり)。 フランスで一般施療院令が出され、男性用のビセートル病院と女性用のサルペトリエール病院が創設される。 バルーフ・デ・スピノザがアムステルダムのユダヤ人共同体からヘーレム(破門)を受ける。 1657年明暦の大火。 水戸藩主徳川光圀の命により『大日本史』の編纂が始まる( - 1906年)。 「統治章典」が廃止され「謙虚な請願と勧告」が制定。 オリヴァー・クロムウェルがイングランドからのユダヤ人追放令(1290年 - )を解除。 1658年ムガル皇帝シャー・ジャハーンが幽閉され、帝位継承争いに勝利したアウラングゼーブが即位。 フランソワ・パリュとピエール・ランベール・ド・ラ・モットによりパリ外国宣教会が組織される。 ポルトガル領セイロンをオランダが占領(オランダ領セイロン)。 スウェーデン軍が「氷上侵攻」でデンマーク首都コペンハーゲンを包囲し、ロスキレ条約を締結。 護国卿オリヴァ-・クロムウェルが死去、息子のリチャード・クロムウェルが護国卿となる。 1659年ピレネー条約の締結でスペインの没落が決定的となる。 フランスがセネガルに植民地サン・ルイを建設。 中国人儒学者朱舜水が日本に来訪する。
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