ユダヤ人追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:25 UTC 版)
「エドワード1世 (イングランド王)」の記事における「ユダヤ人追放」の解説
中世ヨーロッパにおいてユダヤ人はキリスト教会が禁じていた金融業によって財力をつけたが、高い金利で債務者から憎まれることが多く、ユダヤ人が頼れるのは国王の保護だけであった。保護を受ける代わりにユダヤ人は国王に命じられるままに金を献上せねばならなかった。ユダヤ人は国王の「私有財産」「奴隷」状態だった。もし国王が保護の手を引きあげればユダヤ人虐殺が起こるのが常だった。 イングランドにユダヤ人が最初に入ってきたのはノルマン・コンクエストの時にウィリアム征服王に従ってであった。それ以前のアングロサクソン時代はあまりに原始的な社会だったので、金融業が入り込む余地はなかったが、フランスから来たノルマン朝とプランタジネット朝の国王たちは他の大陸諸国の王たちと同じくユダヤ金融業者を必要とした。 ところが1290年になってエドワード1世はユダヤ人をイングランドから追放した。要因としては、 国王がユダヤ人を追放すると人々からは自己犠牲の行為として称賛される。 「微利金貸し」のキリスト教徒から金融を受ける目途が立った。 財産没収による一時的な収入増加が見込める。 などである。ユダヤ人追放後、イングランド金融はフランドル人、イタリア人、さらに後にはイングランド人資本家によって担われるようになっていく。ユダヤ人が再びイングランドに移民するのは近世のステュアート朝以降である。
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