ユダヤ側
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 00:12 UTC 版)
ユダヤ側から見れば、バルフォア宣言でエルサレム市を含めたパレスチナ地域での独立したユダヤ国家建設がイギリスによって支援されると考えていた。確かに文言では「ユダヤ民族居住地建設」となっているが、それではユダヤの悲願であるパレスチナ地域での独立したユダヤ国家建設は達成されない。また、サイクス・ピコ協定ではパレスチナを国際管理すること、フサイン=マクマホン協定を結んだフサイン・イブン・アリーもエルサレム市の行政権を主張していることは、聖地エルサレムを含むパレスチナ地域での独立したユダヤ国家建設の障害になるものであった。ただし、一番決定的なのは1939年の「マクドナルド白書」によるユダヤ人国家の否定(ユダヤ人移民の制限と、10年以内のアラブ人主導によるパレスチナ独立国の創設がうたわれていた)であり、イルグンやレヒなどの過激派が反英テロに走ることになり、ベングリオンら穏健派も、イギリスに頼ることをあきらめて自力で国家建設を目指すことになった。それに前後してドイツではNSDAPが政権を握り、ユダヤ人に対するホロコーストが横行する。さらに第二次世界大戦においてナチス・ドイツがヨーロッパを席巻し、枢軸国の敗戦に至るまでの数年間はユダヤ民族が絶滅の恐怖に晒されることになる。このため戦後には、長らく独自の国家を持たなかったユダヤ人には自民族の維持のための国民国家建設が必須と考えるシオニズム運動が従来以上に活発化し、1948年のイスラエル建国に結びついた。
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