マカバイ戦争の位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:12 UTC 版)
「マカバイ戦争」の記事における「マカバイ戦争の位置づけ」の解説
マカバイ戦争はユダヤ人弾圧に端を発し、最終的にユダヤ人王国が成立したことからユダヤ人の独立戦争という位置づけが良くなされる。しかし、その発端や経過において、ヘレニズム的なユダヤ人と敬虔派のユダヤ人の対立がしばしば見られるように、一面ではユダヤ人の内乱としての側面も持っており、また証拠が少ないながらヘレニズムの潮流の中で「ポリス的」な変化を遂げるエルサレム社会の中で、市民としての権利を獲得できなかった下層民と、強くヘレニズムの影響を受けた祭司や貴族達との対立という要素があったとも指摘されている。 またセレウコス朝によるユダヤ人弾圧が、「ヘレニズム化」を目指したセレウコス朝の政策に基づく宗教弾圧であるという説が長く支持されてきたが、近年ではセレウコス朝による宗教統制の意思については疑問が呈されている。例えばユダヤ側の記録にはセレウコス朝がユダヤ人に対し豚を食べるよう強制したというものがあるが、ギリシア人の宗教において豚が特別の意味を持った痕跡はなく、又フェニキア人(彼らも豚を不浄な動物とする習慣を持っていた)など周辺の住民に対してこれが強制された記録が全く無いことから、こうした記録をもってセレウコス朝がヘレニズム的な宗教支配を押し付けようとしたということはできないというのである。(そしてこれはギリシア人の宗教が、現地に強制されるよりも寧ろ現地宗教と同化する傾向が強かったという事実と符合する。) こうした非ユダヤ教的な習慣の押し付けに際しては寧ろ旧来のユダヤ的な生活を変更しようとするヘレニズム的なユダヤ人との宗教対立の面が強いと考えられている。 またセレウコス朝によるユダヤ人弾圧の動機のひとつとして、アンティオコス4世の時代にはセレウコス朝の財政が著しく困窮していたと考えられていることから、神殿の財産を掠奪することを主目的にしたという説もある。 こうした各種の指摘に見られるように、マカバイ戦争を単純にユダヤ人の独立戦争と見る意見は過去のものとなりつつある。ただし、この戦争の帰結としてハスモン朝が成立したことも事実であり、その意味においてユダヤ人の独立戦争という見解が間違いであるということもできない。史料が限られていることもあり、マカバイ戦争の詳細についてはなお詳細な研究が待たれる分野である。
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