マカパガル政権(1961年-1965年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 13:29 UTC 版)
「フィリピンの歴史 (1946年-1965年)」の記事における「マカパガル政権(1961年-1965年)」の解説
1961年の大統領選挙(英語版)でマカパガルはガルシアに対抗して立候補し、55%対45%の票差で現職大統領を破った。経済発展を刺激するよう求めながらマカパガルは支持者の助言を採用しフィリピンペソが自由通貨交換市場で変動相場制を採用することを認めた。改革活動は当時代議院と元老院を牛耳っていた国民党(英語版)に阻止された。それにも関わらず大統領として国民に成長と繁栄をもたらした。 大統領としてのマカパガルの最も重要な業績に1963年の土地改革法の借用廃止と付随する土地改革計画があった。フィリピンの独立を祝う日も7月4日から6月12日に変更し、後者の日付は1898年にエミリオ・アギナルドがスペインからの独立を宣言した日である。後にマカパガルは作家のスタンレー・カーノウ(英語版)に変更した理由はアメリカ大使館の祝賀会の方が7月4日のアメリカ独立記念日のフィリピン祝賀会より多く訪れたことだと語った。 マカパガルは現職の大統領に挑戦する国民党に鞍替えした嘗ての自由党の盟友元老院長官(英語版)フェルディナンド・マルコスに1965年に再選を目指して敗れた(英語版)。
※この「マカパガル政権(1961年-1965年)」の解説は、「フィリピンの歴史 (1946年-1965年)」の解説の一部です。
「マカパガル政権(1961年-1965年)」を含む「フィリピンの歴史 (1946年-1965年)」の記事については、「フィリピンの歴史 (1946年-1965年)」の概要を参照ください。
- マカパガル政権のページへのリンク