マカパン渓谷
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「南アフリカの人類化石遺跡群」の記事における「マカパン渓谷」の解説
マカパン渓谷 (Makapan Valley ; ID 915-002) は、リンポポ州ポトギーテルスルス(英語版) 近郊に位置し、登録範囲は2220.049561 ha、緩衝地域は55000 haである。2005年に拡大登録された。マカパンスガット(英語版)、バッファロー洞窟 (Buffalo Cave)、ペッパーコーン洞窟 (Peppercorn's Cave) などの洞窟群が対象である。 このうち特に重要なのがマカパンスガットである。洞穴の名前は19世紀に先住民たちがボーア人と戦った際に、そこに立てこもった3000人の先住民を率いていた指導者マカパンに由来している。この洞窟は、タウング・チャイルドが酷評されて一時、古人類学研究から離れていたレイモンド・ダートが、1947年に発掘調査を再開した場所であり、彼はこの地で発見した化石人骨に「アウストラロピテクス・プロメテウス」という名をつけた。彼は火の使用の痕跡を見出したと考えてその名を与えたのだが、現在ではアウストラロピテクス・アフリカヌスにすぎないものを、マンガンの付着などのせいで誤認したものとされている。 また、ダートはマカパンスガットに散乱していた獣骨の断片を元に、アウストラロピテクスが動物の骨を棍棒やナイフにして使っていた「骨歯角文化」が存在していたと主張し、アメリカ人ジャーナリストロバート・アードレイ(英語版)のベストセラーによって広められた。この仮説では、アウストラロピテクス同士で暴力を振るいあっていたという野蛮なイメージが広められたが、現在ではマカパンスガットでヒトや獣の骨が断片的にしか出土しないのは、ハイエナが持ち込んだ餌食の残りが散らかっていたり、ヒョウが樹上に持ち上げた餌食の一部が穴に落下したりしたためだと考えられている。 「骨歯角文化」という誤謬を広める舞台になったマカパンスガットだが、現在ではその一部の層は南アフリカのなかでは最古の部類に属し、否定的な見解もあるものの、300万年前までさかのぼる可能性も指摘されている。
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