ユダヤ問題への関心
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1927年ユダヤ研究を命じられ、酒井勝軍を英語通訳として伴い、パレスチナやエジプトから欧州を視察し、このとき反ユダヤ文書による観念的なユダヤ人理解の誤りを悟った。酒井勝軍は「ユダヤ問題座談会」で、「包荒子はパレスチナを見てから思想に変化を生じ、『世界革命之裏面』の如き書物はもう古くてだめだと言い漏らした」としている。元々愛国心の強かった安江は、亡国のユダヤ流民の惨状に同情し、急速に親ユダヤ的傾向が強まる。ユダヤ人に対して友好的態度がありながら一方でユダヤ人の危険性を論じるのは、当時の陸軍の「ユダヤ通」に広く見られる特徴であった。 帝国在郷軍人会本部の依頼で書かれた『猶太の人々』(1934)の結論には、帰国後の安江のユダヤ観がこう披瀝されている。「猶太人の一人々々を観れば、数千萬の猶太人が一人残らず、革命運動に参画して居るのでもなく、又皆一様に大財閥である訳でもない。多くの猶太人の中には、之を分類すると色々の種類がある。例へば、繪で見る基督のやうな、昔ながらの服装をして、『猶太の泣壁』に朝夕集り、救世主の降臨を祈り、全く現代とかけ離れて、猶太教のみに没頭して居る宗教的猶太人がある。又一方にシオニストとして、パーレスタインの猶太國建設のみに熱中して居る猶太人があるかと思へば、又他方には國境を超越して、世界を舞臺として活躍するインターナシヨナルな猶太人もある。更にシオニズムによつて一般に覚醒されたとはいひながら、シオン運動には無関心に自己の商売のみに熱中している猶太人もある。即ち猶太人であるからといふて、誰も彼も危険視すべきではない。我が國に取つて有害な人物もあれば、無害な善良な人もある」。
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