ユダヤ人に対して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/18 07:56 UTC 版)
「ユダヤ人と彼らの嘘について」の記事における「ユダヤ人に対して」の解説
1536年8月、ルターと友好関係にあったザクセン選帝侯のヨハン・フリードリヒは、ユダヤ人が自国の領内に住んだり、仕事をしたり、あるいは通過することを禁ずる命令を出した。アルザス人ラビのロシェイムのヨセルは改革派のヴォルフガング・カピトへ、選帝侯に謁見すべくルターに話を持ち掛けるよう頼んだものの、ルターは斡旋を悉く拒んだという。ルターはヨセルに対し、「私は嘗て、ユダヤ人のために喜んで最善を尽くしたものでしたが、私が自分から親切に接してまで、あなた(ユダヤ人)の頑固さに貢献することは無いでしょう。主との仲介者を他にも見付けたら如何ですか」と述べ、ユダヤ人の改宗は不成功に終わったことを告白した。ヘイコ・オベルマンは、ユダヤ人に対するルターの態度の変容について、「現在でさえ、こうした拒絶反応が、ルターがユダヤ人に対して好意から敵愾心を抱くに至った、決定的なターニング・ポイントとされる」と述べたものの、ルターであればいかなる「ターニング・ポイント」をも拒否ていたであろうとした。ユダヤ人は寧ろ、キリスト教への改宗に当たり不要な障害を避けるため、「友好的な方法」で接しなければならないと感じていた、というのである。 一方、歴史家のポール・ジョンソンは、「ルターは罵詈雑言に飽き足らず、反セム主義のパンフレットを執筆する前でさえ、1537年にザクセン州から、1540年代にはドイツ国内の諸都市からユダヤ人を追放した。というのも、ブランデンブルク州からユダヤ人を追い出す選帝侯を得ようとしたが、成らなかったためである」と述べている。 また、ミカエル・ベレンバウムは、ルターがキリスト教の権威の唯一の源として、聖書に依拠していたことが、後にイエスがメシアたることを拒絶するユダヤ人に、憤激するようになったのではないかとした。 ルターにとって、救済はイエスが神の子であり、ユダヤ教への執着は共有されないという信念に依るものであった。グラハム・ノーブルは、ルターがユダヤ人を殲滅するのではなく救いたがっており、彼らに「痛烈な不寛容」があったからこそ、「ユダヤ人をキリスト教により一層改宗しようとしたのではないか」と指摘している。
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