ユダヤ人について
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「ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「ユダヤ人について」の解説
ヴィクトリア即位の頃にイギリス・ユダヤ人は3万人ほどで、うち半数がロンドンで暮らしていたが、ユダヤ人はキリスト教的な価値観や金融業者のイメージのせいで蔑視され、いまだ政治的に差別的な扱いを受けていた。 ヴィクトリアはヒステリックな反ユダヤ主義者ではなく、ユダヤ人への爵位・ナイト爵の授与はヴィクトリア朝時代から開始された。即位間もない1837年11月9日にロンドン市を公式訪問した際、ユダヤ人シェリフ(英語版)モーゼス・モンテフィオリ(英語版)にナイト爵を授けたのがその最初である。このイギリス史上初のユダヤ人へのナイト爵授与についてヴィクトリアは日記に「正しいと思う事を当然のこととして実行したのは私が最初である。とても嬉しかった。」と書いている。 彼女がとりわけ気に入っていたユダヤ人は首相ベンジャミン・ディズレーリである。ディズレーリは出世のために少年時代にキリスト教に改宗していたが、ユダヤ人をユダヤ教徒ではなく人種(race)ととらえており、自分はユダヤ人種であること、そしてユダヤ人種の優秀性を公言していた。一方ウィリアム・グラッドストンはキリスト教主義的な立場からどこか反ユダヤ主義的であり、ディズレーリ批判を繰り返していたが(たとえばディズレーリの親トルコ外交を「トルコのキリスト教徒虐殺に加担したがっているユダヤ人の本性に根ざしたもの」と批判するなど)、ヴィクトリアはこういうグラッドストンのキリスト教主義的思想を嫌っていた。 一方で1869年にグラッドストンが自由党所属の庶民院議員ライオネル・ド・ロスチャイルドに爵位を与えるべきことを進言してきた際にはヴィクトリアは「ユダヤ貴族は認められない」「貴族は伝統的に地主であるべきで企業家・投機家であってはならない」「准男爵(貴族ではない)までなら許可する」として男爵位以上の授与は拒否している。 しかし1885年7月9日にヴィクトリアはライオネルの息子であるナサニエル・ロスチャイルドに男爵位を与えている。この頃にはロスチャイルド家は所領を手放した貴族たちの土地を買収するようになっており、領民をたくさん従える領主のイメージも付いてきていたため、ヴィクトリアの反発も弱まったものと思われる。先の却下理由の一つである「ユダヤ人貴族は認められない」という点についてはいまだクリアーできていなかったが、恐らくそちらの理由は彼女の中で大きな問題ではなかったのだと思われる。
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ユダヤ人について
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「ラインハルト・ハイドリヒ」の記事における「ユダヤ人について」の解説
「反ユダヤ主義とは政治問題ではなく、医学上の問題だ」(妻リナ・ハイドリヒに語った言葉) 「一部のドイツ国民は、国家社会主義革命から二年をへた今、早くもユダヤ人に対して無関心になり始めた。しかしユダヤ人の側には永遠に変わることなく追求し続けるしぶとい目的がある。それは世界征服と北欧人種の絶滅である」「我ら国家社会主義者が、客観的・人間的であるがゆえに歴史的使命を達成できなかったとしても情状酌量などされはしない。単にこう言われるだけだ。歴史に対して彼らは使命を全うしなかった、と」(1935年秋にSS機関紙『ダス・シュヴァルツェ・コーア』にハイドリヒが載せていた「我らの闘いの変遷」と題する連載の文章) 「東方ユダヤ人はボルシェヴィズム(ロシア共産主義運動)の貯水池であり、それゆえに総統の意志により絶滅させねばならない」(1941年6月半ば、ザクセン州で。独ソ戦を前にアインザッツグルッペンの指揮官たちに対して)。 「総統はユダヤ人の物理的抹殺を命じられた」(1941年晩夏、アドルフ・アイヒマンSS中佐に対して) 「最終解決とは、1100万人のユダヤ人を処理することであり、それにはイギリスとアイルランドのユダヤ人も含まれる。すべてのユダヤ人の絶滅という目標は、人類の大再編成に他ならない」(1942年1月20日、ヴァンゼー会議において) 「最終解決の過程で、ユダヤ人は然るべき監督の下、東部で労働部隊に組み込まれる必要がある。男女別の大規模な労働部隊の中で労働可能なユダヤ人は鉄道建設に振り向けられるが、その大部分は『自然減少』によって欠落していくだろう。最後まで生き残る者は抵抗力の強い人間であるから、彼らに対しては『相応の対応』が必要になる。というのも、こうした自然淘汰の結果を放置すれば、新たなユダヤ人の血を後世に残すことにつながるからである」(1942年1月20日、ヴァンゼー会議において)
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ユダヤ人について
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「金口イオアン」の記事における「ユダヤ人について」の解説
金口イオアンは、ユダヤ人は盗賊、野獣、「自分の腹のためだけに生きている」と罵倒した。さらに金口イオアンは「もしユダヤ教の祭式が神聖で尊いものであるならば、われわれの救いの道が間違っているに違いない。だが、われわれの救いの道が正しいとすれば、ーもちろんわれわれは正しいのではあるがー、彼らの救いの道が間違っているのである」とし、ユダヤ教徒による不信心は狂気であり、「…もし彼らが神なる父を知らず、神の御子を十字架に懸け、聖霊の助けを撥ねつけたのなら、シナゴーグは悪魔の住まい」ではないかと述べた。これ以来、ビザンティン帝国で反ユダヤ主義の伝統が形成され、1000年後のモスクワ公国でのユダヤ人恐怖をもたらした。また、ゴールドハーゲンは、金口イオアンのような古い事例は近代へもつながり、キリスト教徒にとってのユダヤ教徒は有害で害虫であり、キリスト教徒であることそれ自体がユダヤ人への敵意を生み出し、ユダヤ人を悪の権化、悪魔とみなしていったとする。金口イオアンの『ユダヤ人に対する説教(英語版)』は、20世紀にナチ党がユダヤ政策を正当化するために頻繁に引かれた。
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