ユダヤ問題との係わり
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戦中の日本の対ユダヤ方針は、英米との関係改善、独・伊との提携強化など、国際情勢の変化で変わっており、犬塚のユダヤへの対応も時期によって異なる。 軍令部第三部(情報担当)勤務時代に、ユダヤ人研究を始める。 1936年(昭和11年)、国際政経学会発行の「国際秘密力の研究」を「宇都宮希洋」のペンネームで分担執筆している。反ユダヤ色の強い論文・評論が中心である。他、若宮卯之助、 桜沢如一らも執筆している。 1939年(昭和14年)3月(4月10日辞令)から1942年(昭和17年)4月まで、日本海軍のユダヤ人問題対策機関「犬塚機関」を指揮している。神明きよ子は犬塚機関の事務方をしていた模様。 1939年(昭和14年)、ナチス・ドイツの対ユダヤ人政策への批判を織りこんだ、「ユダヤ問題と日本」(内外書房)を出版。 犬塚は次のように主張した。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}(…ユダヤ人は危険ではあるが、日本はこれを味方につけるべきである。これまでユダヤ人はパレスティナを避難所とみなしていたが、イギリスのアラブ寄り政策によってパレスティナへの門戸は閉ざされた。その結果、今度は東に目を転じ、「アジアへの帰還」という願いを、日本が支配する中国各地への移住によって現実化しようとしている。…)この現象は、二千年来地球上をさまよい続けた東洋人種猶太人の東洋還元である。言葉をかえれば、古代の日本民族指導下から乖離した猶太民族の帰順である。然し、現状では帰順とは言いがたい。むしろ日本へ反逆し、東亜から日本勢力を閉め出し、彼等のみの天地を建設せんとしていると思われるのが、今次事変下の彼等の行動である。その主因は彼等の日本研究不足、特に日本精神の無理解と、民族性の誤判断から拠って来たるところ多大であると言えよう。我々は先ず、事変下国民の尽忠報国の行動を以って、現実に彼等にこれを教え、且つ日本学の確立、日本古代文化史の展開を以って、彼等の蒙を開くべきであろう。その結果、彼等が前非を悟りまつろい来たるまで、我々は倦まず弛まず努力するのも、新東亜建設者の責任である。[要出典] 犬塚が「超古代史観」の持ち主であったことが伺える。[要出典] 1939年(昭和14年)、犬塚惟重海軍大佐、安江仙弘陸軍大佐(日本陸軍のユダヤ人問題専門家)、外務省の石黒四郎の3名による「回教及猶太問題委員会」は、「日本は上海郊外にユダヤ人自治区を設立して、さらに多くのユダヤ人を集めるべきである」との見解をまとめた。 ドイツの軍靴がチェコ、ポーランドと進むにつれて、数百万のユダヤ人が世界各地に逃げ出さざるを得ない状態になった。しかし、彼らの目指すアメリカ、中南米、パレスチナなどは、入国査証の発給を非常に制限し、ほとんどシャットアウトの政策であった。そうした中で、入国ビザなしに上陸できたのは世界で唯一、上海の共同租界、日本海軍の警備する虹口地区だけだった。 自治区は設立されなかったが、日本海軍のユダヤ人問題対策の担当であった犬塚は、日本人学校校舎をユダヤ難民の宿舎にあてるなど、上海のユダヤ人の保護に努力した。 1939年(昭和14年)、ユダヤ人問題対策に専念するため、自ら請願して退役して予備役となり、支那方面派遣軍艦隊付きの嘱託になる(12月2日付)。 1941年(昭和16年)12月27日、充員召集令状により現役復帰。 1941年(昭和16年)12月30日、犬塚の具申により、「上海海軍武官府特別調査部」が新設され、その部長になる。 1942年(昭和17年)3月7日、艦隊勤務へ戻るため上海を出航。犬塚の後任には実吉敏郎陸軍大佐が上海に赴いた。 1943年(昭和18年)、フィリピンに転任。 1945年(昭和20年)、結核のため帰国後、5月30日に退役。 1946年(昭和21年)、犬塚は終戦直後に戦犯容疑でGHQに拘束されて、15ヶ月間マニラで服役生活を送る。裁判では、上海でのユダヤ人難民救援活動の功績を認められて、難を逃れた。 1951年(昭和26年)、犬塚の公職追放解除。 1952年(昭和27年)、会長に犬塚惟重、副会長に三浦関造(日本神智学の祖)、名誉会長に三浦の友人である下中弥三郎(啓明会の創立者)、理事に中里義美(戦前の神代史派の拠点「神日本」の主催者)、顧問に山本英輔、佐伯好郎(景教渡来説・日猶同祖論を提唱)、仲木貞一、小笠原孝次、山根キクら偽史関係者、が集う日猶懇話会が発足した。 1982年(昭和57年)、イスラエルのヤド・ヴァシェムで、犬塚の遺品が永久展示されることになった。
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