ユダヤ人難民に対する立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 10:13 UTC 版)
「第二次世界大戦期アイルランドの局外中立」の記事における「ユダヤ人難民に対する立場」の解説
詳細は「アイルランドのユダヤ人の歴史(英語版)」を参照 ヨーロッパから逃れてきたユダヤ人難民の受け入れに対し、アイルランドは消極的な立場であった。戦時下のアイルランド当局は、一般的に難民を受け入れない口実として2つの理由を提示した。それは、彼らが国家を過密にしてアイルランド人の職を奪う事と、大規模なユダヤ人コミュニティの存在によりアイルランド人の間で反ユダヤ主義的な感情を煽る事になるだろうという理由であった。 第二次世界大戦中、アイルランド国内には反ユダヤ感情が存在したが、最も注目すべき事例として1943年に新たに選出された無党派のドイル・エアラン議員オリバー・J・フラナガン(英語版)が「ユダヤ人を国外に追い出す」事を提唱した悪名高い演説がある。 戦時中および戦後を通じて、アイルランド政界はユダヤ人のホロコースト犠牲者に対し政治的に無関心だった。この無関心は、後にマイケル・マクダウェル(英語版)司法相(英語版)によって「反感、敵意、無感情」と評される事になる。ユニバーシティ・カレッジ・コークのマーヴィン・オドリスコル博士は、ユダヤ人がアイルランドに避難する事を妨げた非公式および公式の障壁について報告した。 公然とした反ユダヤ主義が典型だったとは言えないまでも、南アイルランド人はナチスによるユダヤ人や第三帝国から逃れてきた人々への迫害には無関心だった....1938年に移住申請が受け入れられた人物の典型は、オーストリア出身のカトリック教徒、独身の裕福な中年もしくは高齢者で、アイルランドで引退生活を送る事を希望し、就職は望まないというケースだった。ウィーンのユダヤ人銀行家や実業家で、カトリック教徒という基準を満たしていた者はわずかだったが、該当者は国の経済活動に関与する事なく快適な生活を送れた。
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