反シオニストへの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:21 UTC 版)
過去にはイスラエルのメナヘム・ベギン首相と何度も会って、旧約聖書を元にした様々なメッセージ交換をするなど、親ユダヤであった。ベギン首相とのメッセージ交換は、旧約聖書イザヤ書30章をベースにエジプト・イスラエル平和条約に忠告したことに始まる。このような関係を構築できたのは、本人曰く「ユダヤ人は一般的にトーラー以外の旧約聖書に明るくないが、旧約聖書全39巻に精通している日本人に、ベギンが興味を持ったため。」であると言う。実際に彼は年に4・5回(合計30回以上)もイスラエルを訪問。警戒の厳しいイスラエル国会や首相官邸などをほとんどフリーパスで通って、シモン・ペレス首相や、他の有力政治家(イツハク・ナボン大統領、モーシェ・アレンス、ゲウラ・コーヘン)らと何度も会っている。 また、世界の様々な事象の背後に存在するユダヤ人の「影響力」、世界を支配する4つの要素(石油、穀物、金融、情報)におけるユダヤ人の「支配力」に目を瞠っていた。具体的には、独占的な資源メジャーである、石油メジャー(ロイヤル・ダッチ・シェル、エクソン、ブリティッシュ・ペトロリアム、テキサコ、モービル、シェブロン)、穀物メジャー(アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド、ブンゲ、カーギル、ルイ・ドレフュス)、金融(FRB、BIS、IMF、投資銀行、証券会社)、情報の国際的通信社(ロイター、AP通信、UPI通信社、AFP通信)、世界的新聞社&マスメディア(タイムズ、フォーチューン、ニューズウィーク、ニューヨーク・タイムズ、ニューヨーク・ポスト、ウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポスト)、IBMなどコンピュータ関連企業などである。 1980年代、日本では「陰謀論」やユダヤ問題への関心が高まっていた。宇野正美は、1982年末に発表した著書「大崩壊へのシナリオ」を皮切りに、1984年初頭に発表した著書「旧約聖書の大予言」、「続 旧約聖書の大予言」で聖書からの引用を中心に、シオン賢者の議定書を出典としたユダヤの陰謀と世界制覇戦略を説明した。これに対する宇野正美の論調は、重ね重ねホロコーストの事実を肯定しており、それらの迫害の歴史が、「世界を敵に回しても屈しないユダヤの力」のベースとなっていると言うものであった。また、日本経済新聞(1984/7/9)の「世界の潮流」でもユダヤ問題が採り上げられた。その他、馬野周二などが陰謀論に関する幾つかの著書の発表をしている。 1986年に出版した『ユダヤが解ると世界が見えてくる』と『ユダヤが解ると日本が見えてくる』は、2冊で百数十万部を数える大ベストセラーとなる。その中でシオン賢者の議定書の引用に加え、ホロコーストでのユダヤ人犠牲者数として有名な「600万人」という数字に疑問を提示した。翌年の1987/1/17に読売新聞が取り上げたのをきっかけに、ニューヨーク・タイムズの記者ヘイバーマンが、宇野正美へのインタビュー記事を1987/3/12に掲載、またハーバート・パッシン(コロンビア大学名誉教授)が文藝春秋(1987年4月号)に文章を掲載。「日本の反ユダヤ主義」が起こっているとされ、ユダヤ人に衝撃を与えた。イスラエル政府は宇野正美の入国拒否を決める。一方で宇野正美は「反ユダヤ主義者と誤解された」と感じ、上記の2冊は「ひたすらユダヤ人のすごさとバイタリティを日本人に感じとってもらいたく思って執筆した」、「ユダヤ民族の歴史をよく理解し、むしろこのユダヤ民族の強靭さに学ぶべきである」と言うのが趣旨と反論した。 チュニジア滞在中に、外交官から代表的なユダヤ人には、『アシュケナージ系ユダヤ人』と『スファラディー系ユダヤ人』の2種類が存在することを教えられ、アーサー・ケストラーの著書『The Thirteenth Tribe(邦訳:第十三支族)』を紹介される。聖書中のアブラハムの子孫としての古代ヘブライ人と、19世紀以降にドイツ民族主義の影響を受け形成された近代ユダヤ人を区別すること自体がタブーとされていたため、それまでの日本において殆ど知られていなかったが、ケストラー説に従えば、世界的な影響力を持つ東ヨーロッパ起源のアシュケナージ系ユダヤ人の多くは中東起源でなく、一部ユダヤ人移民は含むものの、主な人種的起源はテュルク系のハザールやスラブ人やその他の混血であると言う。その説を受け入れて宇野正美は以降、第十三支族であるアシュケナージ系ユダヤ人を「ユダヤ教徒カザール人」、スファラディー系ユダヤ人を含む十二支族を「血統的ユダヤ人」であると見なし、古代~近代ユダヤ人の歴史の再分析を始める。 宇野正美は、ユダヤ問題とは、その「ユダヤ戦略」が善であるか悪であるかが問題ではなく、創造主から離れた人間の歴史が、ユダヤ人をそのような民族に造り上げてしまい、結局世界がその渦の中に引き込まれてしまう終末を迎えようとしていることだと主張していたが、これらの経緯を経て、著書に於いて「もちろん現在はちがう。いま私は親ユダヤではないし、明確に反シオニストである。」と正式に反シオニストを宣言した。 第一次インティファーダ中にヤセル・アラファトのインタビューを敢行。 ホロコースト否定研究を本格的に始め、ホロコーストをシオニスト、当時シオニストと結託したナチス、アメリカのイスラエル・ロビー、または、それを利用しようとする国際主義者集団の「政治的からくり」だと見なした。 ユダヤのアメリカの出張機関、イスラエル・ロビーである、ADL、AIPAC、ブナイ・ブリス、JDLなどがアメリカ国内で起こす問題を訳著・著書により明らかにした。 著書に於いて、タルムード中で、ユダヤ教のラビ達が非ユダヤ人や、キリスト教徒(キリスト教を中心に据える、西洋社会)に敵対している記述などを引用した(代表的なものに Pes.113bがある)。 宇野は 「シオニスト以上の反ユダヤ主義者はいない」と言う。
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