反キリスト論・終末論とは? わかりやすく解説

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反キリスト論・終末論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 21:49 UTC 版)

テサロニケの信徒への手紙二」の記事における「反キリスト論・終末論」の解説

第二テサロニケ第2章1 - 12節に登場する不法の者」は、反キリスト同一視されることがしばしばである。本来、反キリストという言葉は、『新約聖書』の中ではヨハネの手紙一・同二のみに見られる言葉であり、そこではキリスト教教えに背く者(たち)という以上の意味を持っていない。また、第二テサロニケ書では一貫して反キリスト」の語は用いられておらず、それをここでの終末論特色見なす論者もいる。 しかしながら古代から中世にかけて、キリスト教終末論反キリストイメージ発展する中で、第二テサロニケ書の描く「不法の者」をはじめとする一連のタイムテーブルは、中心的な影響力持ったことも事実である。 「反キリスト」は「不法の者」やマタイによる福音書などに登場する「偽キリスト」(偽メシア)などとも混ぜ合わされ、神に敵対する具体的な一個存在として認識されていくようになる4世紀キュリロスヒエロニムスそうした視点から第二テサロニケ書の解釈展開したそうした観点は、正典含まれるダニエル書ヨハネの黙示録次いで中世終末論影響力持ったといわれる偽書メトディウスの予言書』(7世紀)にも含まれており、未来予言にあたる第10章以下の土台第二テサロニケ書の第2章1節から12節の叙述置かれている。 また、モンチエ=アン=デルのアドソ(英語版) が10世紀半ば西フランク王ルイ4世の妃ゲルベルガ(英語版)の下問答える形でまとめた書簡は、中世反キリスト論の画期をなした。その叙述に際してアドソが基礎においたのが第二テサロニケ書の第2章であった。その反キリスト描写は、それ以前流布していたものよりもキリストの降誕パロディ色が強いものだが、その中で反キリストエルサレムで偽の奇跡起こして支持集め、その一方で恐怖によっても人々従えることなども紹介されている。彼の反キリスト論は概括的なものではあったが、他方物語的でもあったために、中世通じてそこに多く誇張加えられ反キリスト像の形成大きな影響力持ったルネサンス期になるとマルティン・ルター現れ宗教改革を行うが、このルターローマ教皇反キリスト呼ばわりしていたことはよく知られている。彼がその際引き合い出したものの一つ第二テサロニケであったまた、同時代イングランドのジョン・ジューエル(英語版)も『「聖パウロテサロニケ人へ送った二通の手紙」注解』において、教皇反キリストであると主張した。しかし、神の宮に座する不法の者を教皇庁君臨する教皇見なす発想は、すでに中世から見られモチーフでもあった。

※この「反キリスト論・終末論」の解説は、「テサロニケの信徒への手紙二」の解説の一部です。
「反キリスト論・終末論」を含む「テサロニケの信徒への手紙二」の記事については、「テサロニケの信徒への手紙二」の概要を参照ください。

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